届かない星だとしても-ラブライブフェス-
地鳴り。咆哮。治外法権。そんな言葉が頭に浮かんでは消え、次第に思考は止まった。必要なのは考えることではなく感じることだった。飛び跳ね、腕を掲げ、叫んだ。僕らは溶け、混ざり合い、ひとつとなった。世界との境界線はなくなり、あの瞬間、確かに僕らは光る風となった。
【T-SKOOP】
2017年10月21日。
お台場でT-SKOOPというハロウィンのイベントがあった。仮装したアイドルやアーティストがパレードを行い、その後、ライブを行う。
Aqoursはそのイベントに出演した。
お昼過ぎくらい、仮装したAqoursがパレードに現れた。絶叫するオタク達。この日、僕は初めて生でAqoursを拝んだ。悲しいことに(嬉しいことに)以降のオタク活動を通して、Aqoursに最も物理的に近づいたのがこの日だった。距離で言えば2mくらい。
顔が良い!!!!!!!!!!!!!!!!
空模様は不安定で雨が降ったり止んだりした。野外の会場のためステージには仮設の屋根を置いていた。この日のライブはトリがAqoursだった。僕はブルブルと寒風に震えながらゆっくりビールをすすりライブを待つ。離れたステージでは田村ゆかりがライブをやっていた。
雨が止んだ。ステージに置いていた仮設の屋根は撤去された。
さて、入場。
野外ステージ、オールスタンディング。
Aqoursのライブを生で経験するのは初めてだったが、周りの空気を察するに荒れそうな予感がしていた。
緊張感。期待感。
曲が始まる。
出来るだけ前に行こうと押し合うオタク達。
掲げられる改造ブレード。
轟くピンチケの家虎。
はっきり言って死ぬくらい楽しかった。
セトリがこちら↓
1.未来の僕らは知ってるよ(TV Ver)(初披露)
3.Daydream Warrior
4. SKY JOURNEY
!?!?!?
神じゃん。
この頃はまだハマりかけの時期だったからハピトレの後にやったクソかっこいい曲は何!?wって感じだったけど。
そしてこの後、意味不明の事態が起こる。
ラストの曲、恋アク終わりAqoursがはけた後、アンコールの声援が会場を包む。これはワンマンイベントではないからアンコールは絶対にないと思っていた。なんなら雨もパラパラ降り出した。
強引に離脱しようかなと考え始めた時、何故かステージにAqoursが現れた。
!?!?!?!?!?!?!?!?
これは勝手な憶測だが、アンコールは急遽決まったのではないかと思っている。この記憶が正確なのかは不明だけど、子供がイタズラを企む時のような笑みを朱夏が浮かべていて、無性にワクワクした(気がする)。
鳴り響く"届かない星だとしても"のイントロ。
冒頭のシーンへと戻る。
キャストがめちゃくちゃに煽り、オタクが声の限り返す。
僕は下手側にいたのだけれど、弾けるような笑顔で飛び跳ね続けるあいきゃんがありえないくらい眩しかった。
ワン、ツー
サンシャインッッッ!!!!!!!!!!!
これが僕の初めて参加したAqoursの生ライブだった。
【届かない星】
恋になりたいAQUARIUMのカップリングである"届かない星だとしても"。歌詞の通り、まるでAqoursの性質を体現したような楽曲となっている。
ただ個人的には、そんな文脈的な意味合いより上記のような思い出の曲、盛り上がる曲としての印象が強い。
そんな"届かない星だとしても"について少し考えてみたい。
アニメ1期前にリリースされた当楽曲、「届かない星=μ's」という結論に至るのは容易い。
"手を伸ばせそれから悩め"
1期12話、高海千歌は気づきを得る。
μ'sみたいに輝くってことはμ'sの背中を追いかけることじゃない。自由に走るってことなんじゃないかな。全身全霊、何にもとらわれずに。自分たちの気持ちに従って。
自由に走ったらバラバラになっちゃわない?
どこに向かって走るの?
私は"0"を"1"にしたい。あの時のままで終わりたくない。
私は私の景色を見つけます。貴方の背中ではなく、自分だけの景色を探して走ります。みんなと一緒に、いつか…いつか…!
この時点でAqoursが目指すのはμ'sではなく、自分たちだけの輝き、自分たちだけの景色となった。
(個人的にラブライブサンシャインの色をより強く感じるのが、善子と梨子がここで目的地を問うところだ。この問いがあることで物語が引き締まる。目的地を定めることでやっと人は走ることができる、と僕は思っている。この問いかけがあるからこそ、ただの感動するシーンに留まらず、現実へと還元できる物語に昇華しているように思えた。)
さて、この日以降歌われる"届かない星だとしても"はどうなるのだろう。意義を失ってしまうのでは?
答えは割とシンプルかもしれない。「届かない星=μ's」が「届かない星=自分たちだけの輝き」に置き換わる。それによって多少歌詞に不整合が出るかもしれないけど、たいした問題ではない。
だって"歌うたびに生まれ変わる"から。
【ラブライブフェスday1】
2020年1月18日。
Aqours最初の曲は"届かない星だとしても"だった。
ただ楽しむだけのお祭りじゃなかったの!?!?急に文脈が出てきたね!?!?エモくなっちゃうよ!?!?
"手を伸ばせそれから悩め"
そのがむしゃらさはやっと、やっと、やっと、憧れと肩を並べるほどまで昇華された。
誰もが妄想で語った夢のステージ。それが今、現実となった。
この日の"届かない星だとしても"はあえて「届かない星=μ's」として聴くのがしっくりくるだろう。
【ラブライブフェスday2】
2020年1月19日。
Aqoursとμ'sの順番が入れ替わった。何故?わからない。わからないけど身体が熱くなった。
Aqours shipに乗り現れるAqours。永遠に続くイントロ、煽り続ける伊波杏樹、僕は、僕は、僕は、
完全に感情になった。
もう"届かない"とか"届く"とかそういう次元じゃない。君たちが星!!!!!星々のパレード!!!!!ここはミルキーウェイ?
あのステージは確かに高海千歌が、そして伊波杏樹が掴み取った「自分たちだけの輝き」を披露していた。あの時あの場所で僕はAqoursの唯一無二の輝きを見た。
あの瞬間だけは今がラブライブフェスということを忘れてただただラブライブサンシャインになっていた。
ふとT-SKOOPのあの日を幻視する。あの日から連綿と続く僕の人生はここに一度帰結した。
変わらぬものは心だと
言えるのならばそれが強さ
僕はやっぱりラブライブサンシャインが大好きだ。そしてこれからもずっと大好きだろう。
ラブライブフェス前日、ラブライブANNが放送された。そこで伊波杏樹はμ'sへの想いを爆発させた。普通だったら伊波杏樹のオタクっぷりをヤバwと笑けるところだったが不覚にも泣いてしまった。伊波杏樹のμ'sへの想いの大きさ、そしてこの場でやっと気持ちを解放することができた現実が嬉しかった。ここが辿り着いた場所だった。
好きという気持ちは強い。それを改めて実感したのがラブライブフェスだった。
ラブライブサンシャイン様、どうかこれからもよろしくお願いします。
オタク、まじで辞めらんねぇな(沈没)