ぽけてん

オタクシグナル

Raindrop Melody

みなさんは「雨」と聞いた時、どんな印象を持ちますか。良い印象を抱く人は少ないと思います。実際、通学又は通勤しようとした時に雨が降ってたら「はぁ~なんだよ、家でひきこもっててやろか?」ってなりますよね。雨が降ってて「ひゃっほー!雨だ!るんるん!」なんて思うのは心に大きな闇を抱えてる人か河童以外にありえないでしょう。

 

とはいえ私は雨音を聞くのは割と好きだったりします。屋根やアスファルトをぱらぱらと叩く雨音を聞きながら部屋で読書をしていると極めて優雅な気分に浸れちゃいます。雨音の旋律に合わせて声優雑誌を音読これこそ気品溢れる素敵な休日です。現代の貴族はここにいます。まぁハイテク文明に侵されて感性が腐ってしまった今時の人々が雨音に趣を感じるのは難しいかもしれません。

 

日本語には結構雨に関する語彙が多いんです。何故雨に関する語彙が多いのかと言えば日本には雨が多い故と考えられますが、雨に関する語彙を調べているとその感性の鋭さに驚かされます。そんな状況の雨も語彙としてあるのか!みたいなのが結構ざくざくと出てきます。色々ご紹介したいとも思うのですが脇道に逸れまくってしまうので興味のある方は自分でお調べくださいませ。え?

 

 

 

とまぁなんでこんな話をしたかと言えばラブライブサンシャイン22話の話をしたかったからなんですけど(導入が下手)。あえて私がラブライブサンシャイン1番好きな話をあげるとしたら22話を選びます。それ程好きです。雨の音、最高。

 

22話では、自分達は圧倒的に好みが合わない者同士だと提示しつつ、だとしても、だからこそ、お互いを尊重しつつひとつの曲を作っていこうという結論に辿り着きました。その結論に至る過程が本当に素晴らしい。

 

テンポも音色も大きさも

ひとつひとつ全部違ってバラバラだけど

ひとつひとつが重なって

ひとつひとつが調和して

ひとつの曲になっていく

 

13年性はお互いの差異を明確に知ることとなった。その事実に失望しかけたが、雨音から着想を得て、ひとりひとり違っていいのだと解を掴んだ。だって雨音はあんなにも美しいメロディを奏でているのだから。

 

アニメで、しかもスクールアイドルのグループ内で、お互いの差異を描くという脚本のセンスには本当に驚かされます。そこは御都合主義でいいじゃん。そこまでリアルにしちゃうと逆に怖いよ。そしてその悩みは余りにも私にとって等身大すぎるものでした。

 

 

私がひねくれた性格をしてるからかもしれませんが、自分と気が合う人って思ったよりずっと少ないなぁと感じます。価値観の多様化なんてよく言いますが、確かに現代社会では情報が氾濫してて、様々な人が様々な好みを持っていますよね。地球上には70億もの人がいるけど、私自身と気が合う人なんて本当にいるのか、なんてよく考えてます。Twitterを見れば呆れるほどツイートが乱立してて、秋葉原を歩けけば蛆虫みたいにキモオタがうようよいるけれど、どうしたって孤独が私をつきまとうんです。

 

 

まぁそんなことを常日頃から考えていたからこそ、22"雨の音"は私にかなり刺さりました。

 

 

さて、唐突に話の毛色が変わるのですが、アニオタとしてラブライブサンシャインの物語を見た時に、いくつか異質だなと思ったところがあります。特に私が異質だと思ったのは、"名脇役が多い"ということです。基本的に深夜アニメは1又は2クールという短い尺なので、脇役にはそんなに台詞は振らず、主要キャラにスポットを当てるものです。けれど、ラブライブサンシャインは物語の重要なポイントに立っているのが意外にも脇役だったりします。

 

 

27話。廃校が決定し、足が止まりかけたAqours。学校が救えなかったのに輝きが見つかるはずはない、と。沈んだ顔を引っ叩き、背中を押したのは今までAqoursの活動を応援し続けていた浦の星女学院の生徒達だった。高海千歌という小さな波紋はやがて9つの波紋となり、それは大きな波を呼ぶ。そして寄せた波は帰ってくる。

 

本作では浦の星女学院生徒達の心の機微までは描かれない。Aqoursの活動が生徒達にどのような影響を与えたのかは想像することしか出来ないけれど、前向きで明るい変化を生み出したことと予想できる。だからこそ、Aqoursが停滞しかけた時、声をかけることができた。自分達も前向きに支えたい。そんな純粋で崇高な想いが働いたのでしょう。「浦の星女学院という名前を残して欲しい」という生徒達の願いは無力な高校生が出来る唯一の世界への抵抗という印象を受け、とてもラブライブサンシャインらしいと感じました。

 

道はひとつではない

 

 

 

212話。唐突に浮かび上がる他のスクールアイドルの影。自分達だけでなく、スクールアイドル誰しもがその頂を目指している。そこに現れたのはライバルであり盟友のSaint Snow。聖良は問う、「勝ちたいですか」と。

 

高海千歌は再び迷う。何のために、誰のために、スクールアイドルをやっているのか。

 

今一度、自分の原点へと振り返る高海千歌。この辺りは本当に上手い物語の構造だなぁと思います。112話の意趣返しから始まり、"0"という記録、そして物語の始まりであるUTXへと帰結する。風が迷いを浚う。

 

高海千歌は決意を新たに決勝へと一歩踏み出す。

 

 

 

 

213話。

 

 

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「あいかわらずバカ千歌だね」

「何度でも飛ばせばいいのよ、千歌ちゃん」

「本気でぶつかって感じた気持ちの先に答えはあったはずだよ」

 

いや~この最重要な役割を高海一家が担うとは。もうここは高海一家の台詞以上に語ることは何もないですラブライブで優勝してもなお、「バカ千歌」と言ってくれる美渡姉がほんとに好き。このシーンを観ると、千歌曜梨子の3人で行った1stライブの時、美渡姉が颯爽と登場するシーンがリフレインするんですよね。美渡姉はずっと側にいたんだなぁと。なんですかね、この美渡姉の千歌に対する無償の愛は。いや、高海千歌、おまえ、劇場版で絶対恩返ししてやれよな、ほんと。

 

ちなみに本作で美渡姉が「バカ千歌」と言った回数は173回で"いなみ"となっております。え?

 

紙飛行機は飛んだ。

 

 

 

 

さて、このように高海千歌が悩んだ際、背中を押したり提言したり手を差し伸べたりしたのは意外にも脇役の方々であることが多いことがお判りいただけます。

 

 

ラブライブサンシャイン9人だけに留まらず横に広い物語となりました。たった2クールのアニメでこれだけ登場人物を出すのもなかなか大変ですよ。

 

人は生きている以上、多くのコミュニティに所属することになります。それは学校や会社だったり、部活や趣味の集まりだったり、家族だったり。それらのコミュニティは往々にして自分自身に多くの影響を与え、同時に自分自身も何かしらの影響を与えているのです。そうやって相互作用を綿々と続けることが"生きる"ということなのかなって。そして知ることでしょう、人は皆、違うのだと。テンポも音色も大きさも。だけどそれは重なってゆくのです。

 

Aqoursの輝きに照らされ変わろうと思った者達の雨粒、同じ視点に立つ同志の雨粒、身内を想う愛の雨粒。それぞれが調和し、曲が生まれるのです。他者が入り込むことで、違った雨粒が降ってくることで、新しい物語が生まれるのです。

 

つまり、様々なキャラクターにスポットを当て、相互的に物語を進める。これこそが無印時代から続くテーマである"みんなで叶える物語"を体現した構成なのだと私は感じました。

 

 

 

"wonderful story"ではなく、

"wonderful stories"なんです。

 

 

 

 

 

みなさんは「雨」と聞いた時、どんな印象を持ちますか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勝負の話。

 

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アイドルに選挙は付き物ですよね。人気総選挙。個人的にアイドルの選挙ってあまり好きではありませんでした。だって野球やサッカーみたいな得点を競うスポーツならまだしも、アイドル一人一人に優劣をつけるってそれ意味あるのって感じるから。それぞれに個性があって、それぞれに魅力がある。他人と比較するものでもないし、そもそも比較できないものですよね。自分の推しが1位を取って嬉しいって感情もよくわからない。1番人気があります、だから何?

 

だからラブライブという大会の存在そのものに違和感をずっと感じていました。けれど、その違和感を考えすぎるとラブライブというコンテンツ自体を嫌いになってしまいそうな気がしていたのであえて目を逸らしていました。

 

 

ラブライブサンシャイン112話。千歌は聖良に問いました、「ラブライブ、勝ちたいですか?」と。千歌はラブライブで勝つためにスクールアイドルを始めたわけではない。輝きたいと思ったからこそスクールアイドルを始めたのだ。他者と比べることに意味はない、自分らしくいることが、自分だけの輝きを放つことが大事なのだ。こういう方向性で話を進めるのかぁと、ラブライブサンシャイン1期を観終えた後に思ったのを覚えています。

 

この予想はある意味外れました。なんというかラブライブサンシャインって思っていた以上に奥深いというか、自分の安直な予想をどんどん上回っていく感じが爽快でしたね。

 

ラブライブサンシャイン212話。聖良は千歌に問いました、「勝ちたいですか?誰のためのラブライブですか?」と。千歌は悩みます。今一度、自分と向き合わなくてはならなくなりました。「輝きたい」と「浦の星女学院の名を刻む」という別々の動機ががラブライブ優勝に繋がっているのが、千歌の頭の中をごちゃらせたのかなと思います。私の頭の中もごちゃりました。

 

勝ちたいかどうか、千歌はメンバーに問います。全員、「勝ちたい」と答えました。このシーンでの着眼点は2つあると思います。1つ目。勝ちたい理由はそれぞれ違う。それぞれの思いを持ちながらメンバー全員が1つの同じ方向を見ているところが素敵です。2つ目。誰かのためではなく、自分のためにラブライブ決勝に臨んでいる。誰のためでもなく、自分が楽しむため、自分の誇りのため、決勝に臨む。「浦の星女学院の名を刻む」という生徒の思いは勿論背負ってますが、1番大事なのは自分の本当にやりたいこと。千歌の迷いが払拭されました。

 

演出として面白いなと感じたのは、他のスクールアイドルにスポットを当て、その上でAqoursに「勝ちたい」

と言わせた点です。ラブライブという大会は厳しい勝負の世界です。その勝負の世界で楽しむんだとメンバーそれぞれが口にするシーンが印象的です。そして気づきました。勝負の世界って本来楽しいものだなって。

 

大人になると人と競う機会って減りますよね。振り返ると中学校、高校の頃って何かと競っていた気がします。運動会、合唱祭、マラソン大会、球技祭、文化祭の出し物(選挙で優秀賞を決めるみたいな)、テストの点数などなど。こういうイベントを振り返ると、確かに誰かと競うことは熱くなれるし、楽しいものだなと改めて思い出しました。そう考えると、誰かと競う機会が用意されてる中学校、高校時代ってなんか良いですよね。大人になると自分で参加しない限りそんな機会ないですから。

 

誰かと競うということは、挑戦・努力を行い、より高みを目指すこと。

 

さて、冒頭の話に戻りましょう。アイドルはそれぞれ個性があってそこに優劣をつけることに意味がないと私は言いました。けれど、競う機会があるからこそ、自分の理想を掲げ、自分を磨き、高みを目指す。より良いものを作り上げる。それは楽しいことであり、ラブライブ的に言うならばそれが輝きなのです。その輝きを創出する機会となるのが、アイドル総選挙であり、ラブライブという大会なのでしょう。

 

キリがいいのでここらで記事を終わらせてもいいのですが、もうちょい続けます。ただこれ以降はラブライブの根幹からずれた話になるので読んで気分を害する人もいるかもしれないので、ご注意!笑

 

ラブライブで勝ちたい。この道で良かったんだって証明したい。精一杯全力でスクールアイドルをやりたい」梨子の台詞です。結構凄いこと言ってますよね。自分が正しいと証明するために勝ちたい。やっぱりね、そうなんですよ。自分を肯定する為には勝たなくてはならない。ラブライブという大会において勝者は1グループだけ。他は敗者。千歌は輝きの正体を知った。それはラブライブで優秀できたからこそですよ。輝きの正体を知るにはラブライブ優勝は必要条件だった。本気で頑張った末に負けたら普通に悔しいだけだし、負けた後に清々した、楽しかったなんて言えないよね。

 

まぁ負けたら全て無意味になるわけではないし、結果が全てとは言いません。2期第8,9話もありますし。

 

貪欲に勝ちを目指すことは大事ですよ。1期のsaint snowみたいに。もしラブライブサンシャインを見て自分も輝きを見つけたいと思ったならあのくらい自分にストイックであるべきなのでしょう。

 

 

 

人生に勝ちたいなぁ

津島善子「ガンジス」

 

 

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あの子の声が聞こえた気がして振り返ったが、そこに彼女の姿は見えなかった。

 

まとわりつく熱気とやかましい喧騒にうんざりしながら駅の中へと入る。電光掲示板は乗る予定の列車が30分遅れであることを知らせていた。駅のホームは地べたに座っている人や寝っ転がってる人で溢れている。ふらふらと歩き、バックパックを枕に寝ている欧米人の横に腰を下ろした。

 

 

インドでは電車が当たり前のように遅れる。が、それは長距離列車だけでニューデリーのような都市部の地下鉄は日本となんら変わらない。時間は正確だし、とても綺麗だ。空港に着き、都市部へと向かう電車が本当に綺麗で、想像していたインドと違い拍子抜けぬけしたほどだ。私が知らなかっただけでこの国は非常に発展している。

 

沈みかけた太陽の光が駅のホームに差し込んでくる。私は時間を潰すためにおもむろにタロットカードを広げ占いを始めた。占うのは勿論あの子の安否。ふと視線を感じて顔を上げると数人のインド人が遠巻きに私を眺めていた。女一人、駅のホームでタロットカードを扱っているのがそんなに珍しくだろうか。数分後、人だかりができてしまった。何を言うまでもなく真顔で私を眺めるインド人達。

 

「な、何かいいなさいよ!」

 

恥ずかしくなり、私はそそくさとその場を脱出した。

 

夜の帳が下りた頃、電車がホームに滑り込んできた。予定時刻の2時間遅れ。

 

一晩列車に乗り、デリーからバラナシへ向かう。列車の中は妙に騒がしかった。インド人の子供がわちゃわちゃしている。暇だったから近くに来た子供の脇腹をつついたらゲラゲラと笑ってくれた。インド人の子供は弾け飛ぶような笑顔を見せる。こういう笑顔はなかなか日本で見られない。何人かの子供達が私の横にやってきて、脇腹をつつかれ、ゲラゲラ笑って帰っていく。

 

「いいね、あなたたちは楽しそうで。こっちは何一つ楽しくないわ。」

 

イアホンを耳につけ、寝る準備を始める。ふと1ヶ月前の情景が浮かんできた。

 

その日、私の家にずら丸が遊びにきた。お酒を飲みながらずっとお喋りをしていた。ずら丸とこうやってのんびりお喋りするのは久しぶりだったし楽しかった。普段以上に酔っていた。そろそろ寝ようかとなった頃、私はずら丸にキスをした。一瞬の沈黙の後、顔を赤くしたずら丸は何も言わずに家を出て行った。

 

あの子は21歳の誕生日を迎える前日、私とルビィに「インドに行って死生観を考え直してくるずら」と一言告げ、渡印した。キスをした2週間後のことである。

 

うっすらと明るくなった流れる景色を車窓から眺めながら、私はぼそりとあの子の名前を呟いた。

 

 

 

…………………………………………………

 

話を続けるかは未定

 

尊敬する人が同い年だったって話。

 

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妖光に導かれるように進んだその先で…

 

 

気づいたら豚になっていた。

 

 

 

元々豚の気質はあったけど完全に豚にはなっていないはずだった。何故こうなってしまったのだろう。今となってはよくわからないけど、追っかけの日々が楽しいから深くは考えないようにしてる。

 

 

いや、違う。

 

 

私は深く考えなくてはならなくなった。豚になったが故に…。

 

 

 

 

私がラブライブサンシャインにはまったきっかけは1stのBD映像を観た時です。衝撃。まずパフォーマンスのクオリティが高い。こんなキレのあるダンスをしながら楽曲を歌いあげるってどうなってるんだとわけがわからなかった。加えて会場の熱量。キャストと共に会場を盛り上げるあの声援。あの一体感。観ていてとても心が熱くなった。震えるぞハート!!燃え尽きるほどヒート!!!

 

 

 

豚ライフの始まりの鐘が鳴り響きました。

 

 

 

 

個人的にキャストの中で気になる人がいました。伊波杏樹です。

 

カリスマ性と言うのでしょうか。リーダーになるべくしてなったというか。伊波杏樹の紡ぐ言葉が胸に刺さるんですよ。あの礼儀正しさ、あの真摯な姿勢、眩しすぎて網膜が焼き切れそうです…。

 

浦ラジとかニコ生とかを拝聴してもリーダーとしての存在感を感じますよね。育ちの良さというか人柄の良さというか、兎に角凄い人だなぁと思っていたのです。

 

 

気づいたらそれは尊敬の念となっていました。

 

 

 

 

しかし、

 

しかし、

 

ここで衝撃の事実が発覚。

 

 

 

 

 

 

私と伊波杏樹が同い年。

 

(あいにゃも同い年だよ)

 

 

 

 

 

しかも96年早生まれまで同じ。

 

 

 

正直、あまり認めたくない事実ですね。同い年がここまで凄いことをやり遂げてることに少なからず焦燥感を感じるわけです。伊波杏樹に限らず、もうこの年になると同い年で立派なことをやってのける人って沢山るんですよね。ちなみに氷上のスティーブンスピルバーグこと羽生結弦君も同い年。みんな、しゅごい…。この焦燥感は私をじわりじわりと苦しめる。

 

 

 

同い年の人がここまで凄いことをやっているのに私は一体何をしているんだろう、と。

 

 

 

そしてそこに追い討ちが。

 

ラブライブサンシャインTVシリーズは本当に素晴らしいもので、感動につぐ感動の大波が私を襲いました。

 

しかし同時に私は絶望によって斬りつけられました。

 

 

 

青い鳥。

 

 

 

誰もが知ってるメーテルリンクの童話。ラブライブサンシャインだけでなく、多くの作品でメタファーとして取り入れられていますよね。意味するのは「幸せはすぐ近くにあってもなかなか気づかないもの」。輝きは実は持ってたんだなぁって。

 

ラブライブサンシャインのオチはなんとなく予想はついていました(予想はしていてもむちゃくちゃ泣いた)。しかし私はどこかでこう思っていました。「輝き」は天空の城の最上階とか魔物が潜む洞窟の最奥地とか海底遺跡にある棺桶の中とかにあって欲しい、と。輝きってもっと高嶺の花であって欲しかったし、私では到底手にできない代物であって欲しかったのです。青い鳥がそばにいるとしたら私の抱えるこの焦燥感は一体何!?

 

 

歩んできた全ての瞬間が輝きだった。確かにその通り。しかしこの言葉はある条件を満たした人間しか発言することが許されない。

 

全力で努力・挑戦をした人間だけが輝きを知ることができる。

 

じゃあ、私は?

 

努力もしてない。挑戦もしてない。そんな私の歩んできた全ての瞬間は道端の石ころとなんら変わりません。

 

人生を振り返れば要所要所で良い経験をしたと思うことはありますが、全体を通して見れば誠にしょーもない人生だったとしか思えません。

 

 

 

 

え、辛い!?!?!?

 

 

 

誰か私を肯定して!誰か私を愛して!

 

 

 

 

 

豚ライフ、楽しかったはずなのに…楽しかったはずなのに…。

 

アニメなんて現実逃避の道具としか考えてなかった。何故アニメを観て、現実と向き合わなくてはならないのか。こんなの絶対おかしいよ!

 

 

 

ラブライブサンシャインを観てたらさ、嫌でも前向きにならざるをえないじゃないですか。どうすんの、これから。

 

 

 

私は、変われるでしょうか。

 

自分の過去はとてもじゃないけど肯定できません。過去は変えられない。けど、これからは変えられる。動けるのか?この怠惰な私が?

 

 

人は簡単には変われません。けど、変わろうと思ったのです。豚として緩い幸せに浸かってるのも悪くないとは思いますが…伊波杏樹を見ているとそうもいかないなと感じてしまったのです。

 

 

 

 

 

いつの日か偶然にも伊波杏樹に出会った私は胸を張っていられるでしょうか。唐突に輝きについて語っちゃったりできるでしょうか。

 

 

 

 

 

最後にサクラバイバイの歌詞を引用して締めようと思います。

 

 

「本当は追いかけていきたいよ

でも見送るよ

つぎはもっと成長した自分

見せたいから

ここでバーン!っと頑張るよ」

 

 

 

 

私の推しの話。

 

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夏とは良い季節です。真っ青な空に立ち昇る入道雲。蝉の合唱。汗を一瞬涼めるそよ風。木陰から溢れる眩い光。どこか遠くに、遠くに、行きたくなります。

 

 


この前の土曜日、駅前をふらふらと歩いていたら、コンビニの前でガリガリ君ガリガリしている小学生三人組を見かけました。

 

突然、襲ってくるノスタルジー

 

押入れの奥底で昔大事にしていたぬいぐるみを見つけたような。過去の場面場面が色を帯びて浮かび上がってきたのです。日差しの下、自転車に跨りながら友達とガリガリ君を食べる。夏ってそういうものですよね。なんか大事なものを思い出した気分でした。

 

 

帰り道、コンビニでハーゲンダッツを買ってクーラーの効いた部屋で食べたのですが、虚しい気分になりました。嘘です。ハーゲンダッツめっちゃ美味い。ガリガリ君とか今後一生食う気がしませんね。

 


ノスタルジーってなんでしょう。勿論、辞書を引けば言葉の意味はわかります。その言葉の深みを考えたいのです。考察好きな私なんかは、この胸を締めつける寂しさや切なさの意味を考えちゃったりして1日を過ごしたりするのですがみなさんそんな休日の過ごし方はいかがですか?

 

 

そういえば時の移ろいに敏感な女の子がいましたよね。

 

 

 

 

 

 

 


黒澤ルビィ

 

 

 

 

青春物語には必然的に有限性がテーマに含まれます。ラブライブサンシャインも例外ではなく、有限性を強く意識させる物語となっていました。そんな中、時の移ろいに特に敏感であったのが黒澤ルビィだったのではないかと思います。


2期では黒澤ルビィの複雑な心境を垣間見ることができました。やっとの思いで大好きな姉と大好きなスクールアイドルが出来ている。しかし、姉の卒業はもう間近。そんな嬉しさと寂しさがルビィの胸の内をモヤモヤさせるわけです。


…夜の帳が下りた内浦を走るバス。今日の練習も楽しかった。昨日よりも上手くダンスが踊れた気がする。そのな嬉しい気分の最中にいても頭の隅にちらつくのです。刻一刻と迫る卒業という二文字。寂しさがルビィを苛む。そんな光景が想像できてしまいます。


しかし、転機が訪れる。

 

 

 

 

HAKODATE

 

 


姉が大好き、スクールアイドルが大好き。背景が似てる鹿角理亞。

そんな鹿角理亞に黒澤ルビィは手を差し伸べた。あの、黒澤ルビィが!?気弱な小動物の黒澤ルビィが!?


スクールアイドルは雑誌の中で輝いていた。向こう側の世界だった。憧れは次第に欲に変わった。自分も輝きたいと思った。自分の想いに素直になった。一歩を踏み出した。

1期のルビィは能動的になることで自分の世界を広げました。では2期はどうだったでしょう。

 

姉が大好きだった。いつまでも甘えていたかった。

 

saint snowの敗退によって改めて姉の卒業と対峙しなければならなかった。時の移ろいを考えなくてはならなかった。

 

姉に安心してもらいたいと思った。似た境遇の女の子と手を取り合った。


2期のルビィは変わらざるをえない状況にいました。動いた歯車は止まらない。ルビィは更に先へ進まなければならなかったのです。

 

姉とスクールアイドルをやれる時間はあと僅か。今は楽しい。しかし先のことを考えると切ない。

 

楽しさと切なさを胸に歌い上げたAwaken the powerは本当に眩しい輝きとなりました。

 

 

 

 


時の移ろいの中で感じる寂しさや切なさ。厄介なことに寂しさや切なさというのは嬉しさや楽しさの影に潜んでいるものです。それでもなお、彼女はどうなるかわからない明日が楽しみだと言った。そんな彼女の言葉に力を貰った気がしたのです。

 

 


私の推し。黒澤ルビィ

視点。

 

何かに熱中していると視野が狭くなることがしばしばあります。というか周りは何も見えなくなるよね、だって熱中してるんだもん。

凄く苦悩していた物事を一歩引いて見てみるとなんてことないことだった、そんな経験が誰しもあるはずです。

何故あんなことで悩んでいたのか逆に困惑してしまったり…。

 

ここに人生のもどかしさがあるのだと思うのです。熱中できる何かを見つけられるのは幸運なことです。何かに熱中している時間ほどかけがえのないものはありません。

しかし同時にそれは滑稽に映る時もあります。熱が一瞬引いて、そのこと自体を漠然と眺めた時です。なんでこんなことに熱中してたんだろって…。

 

私はこの一歩引く瞬間って大事だと思っています。あまり没入しすぎると自己完結的になってしまうからです。自己完結した世界でもいいというならそれはそれで結構ですが、自分を肯定ばかりしててそこから成長はあるのって感じなんですよね。

‪一つの物事に集中して取り組む。それだけで幸せってのは確かにそうかもしれないけど、それはただの井の中の蛙じゃない?って思ったりするんですよ。‬

‪そして私は絶対そうはなりたくないなと思うわけです。‬

 

‪私は世界中全ての人はもっと貪欲に生きるべきだと思っています。中途半端な幸せで満足するなよ!って。こんなことを考えているのは世の中に私だけだとは思いますが、思ってしまうのだからしかたないですね。‬

‪なんか段々自分が何言ってるかわからなくなってきた…。‬

 

‪昨今、多様性やダイバーシティって言葉が声高く叫ばれるようになりました。モノや情報が溢れた現代においてこのような流行が生まれたのは必然でしょう。しかしこの言葉は汎用性が高く、いいように盾として使われてる印象もあります。多様性やダイバーシティって言葉は低スペックの人間を擁護する言葉ではありません。自分を守る言葉ではなく、外に視点を向けさせる言葉なのだと。井の中の蛙になるんじゃねぇぞ!‬と。

 

 


‪まぁつまり私は、あんまり安易に満足しないで周りを見ようぜって言いたかっただけです。‬

‪はい、終わり‬

 

 

堕天使の話。

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津島善子

 

自分を不幸人間と称する津島善子。地球上にこれだけ人間がいれば運の良い人と運の悪い人で偏りが生まれるのは仕方のないことです。まぁでも誰しもが人生の中で自分の不幸さを嘆くことなんて沢山あるでしょう。私自身、他人が当たり前のように持っているものを持っていなくて酷く悩むこともありますが、なんとか生きています。

 

 

自分が不幸だと思っている人間の生き方をざっくり3パターンに分けてみました。

①全てを環境の所為にする
当然ですね。だって自分じゃどうしようもないもん。

②強く生きる
周りを信用することなく、自分1人の力でこの混沌とした世の中を生き抜こうとする。

私は①が3割、②が7割って感じかな。

③自分が特別だと思う
津島善子


当たり前ですが、自分を不幸だと思っている人間がこの世の中を好きになれるはずがありません。他人も信用できません。視線は外ではなく内に向きます。自分で完結する世界。自分だけの独創的な世界を作ることで、辛さを忘れる。処世術。しかし人間である限り、外に全く興味を向けないなんて不可能です。そこに葛藤があり、苦しみがあります。

 


個人的に津島善子ソロ曲の歌詞にとてつもない衝撃を受けました。


in this unstable worldはスクールアイドルを経ての津島善子の変化を明確に書き綴られています。

歌詞を適当に抜粋していきますよ。

 

 

 

「まだ聖なるセカイ夢見てるの?美しさは脆いものよ」

 

 

 

 

えっ!?!?!?

破壊力ありすぎでしょ…

聖なるセカイとは、津島善子が処世術として作り出した自分の内側の世界。
津島善子にとって堕天使はこの世の全てだった。しかし今は違う。2期では堕天使を良い意味で活用していたし、あくまで自分の1つの要素として捉えている印象を受けました。確かに自分で作り出した世界は美しい。しかし、それはとても閉鎖的で窮屈なのだと津島善子は思ったのでしょう。

この短い歌詞だけでスクールアイドルを通して外側に視線を向けるようになった津島善子を上手く表現していますね。

 

 

 

 

 

「この退屈セカイを渡るには力を合わせなきゃ駄目よ」

 

 

 

 

ぐああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっっ

切れ味抜群…


わざわざ言及することじゃないですが、"セカイ"の用法が違います。さっきのは津島善子の内側の世界、こっちのは現実世界です。

あくまで現実世界を退屈と言い切る津島善子。しかし、今の津島善子は昔のように自分の内側だけで完結する生き方はしていません。誰かと手を取り合ってこの現実世界を乗り越えようって言ってるんですよ!?やばい、涙で画面が見えない…。

 

外側との接点に重きを置くようになった津島善子。それはスクールアイドルの活動を通して、仲間と何かを目指す素晴らしさに気づいたから。世界は相変わらず退屈だけど、誰かと一緒にいることで何かが起こることを知ったから。人を信頼できるようになったから。

 

 

 

人の心を育てるものは何でしょう。

私は他人との関わりだと思っています。生きていればどうしようもなく他人との関わりが憂鬱に感じることもあるでしょう。どんなに誠実に、真っ当に、真剣に生きていても、理由のない悪意や理不尽に襲われることは多々あります。だとしても、だとしても、他人と関わる以外に自分の心を育てる手段はないのです。


そんな悲観的な思想の中で前向きさが顔を覗かせる。それがin this unstable worldであり、津島善子の生き方なのだ。