ぽけてん

someone in the crowd

Aqours 5th LIVE 感想

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千歌は一貫して「輝くこと」を追求した。そして、千歌は輝きの正体に辿り着いた。夢に向かってがむしゃらに駆け抜ける、その一瞬一瞬が光り輝き、自分を作り上げる。"結果"は最終的についてくる付属のようなもので、"過程"こそが真に重要である、そんなメッセージを感じられる。

 

そんなメッセージを肉づけしたのは鞠莉だったように思う。夢を追うことの痛みや難しさをこれでもかというくらいラブライブサンシャインは描いた。果南とのすれ違い、統廃合確定、鞠莉ママからの否定…そんな苦悩を乗り越えてきた。鞠莉は誇り高く、聡明で、責任感が強い。けれど、鞠莉の行動原理は極めてシンプルで"ワクワクする方へ"だと思っている。ワクワクは「輝くこと」に直結する。

 

 

「1番叶えたい夢は叶えられず」

 

僕はこの台詞にラブライブサンシャインの物語が収束すると思っている。この台詞を鞠莉が言うことに意味があった。1番叶えたい夢は叶えられず、けれども、過ごしてきた日々が否定されるわけではない、輝けないわけでもない、紙飛行機が落ちたなら、また飛ばせばいいのだ。

 

 

Brightest Melody、ラスサビの3年生パートのセンターは果南がやると思っていた。果南にやって欲しい、というのが僕の正直な気持ちだった。3年生において果南がリーダー的な役割を担っていると思っているから。先導者は果南であり、鞠莉とダイヤを導くのは果南だと思っているから。センターは果南だろうと。けれど、上記のようなラブライブサンシャインにおける鞠莉の役割を考えた時に3年生パートのセンターに鞠莉がくるのもしっくりくるなぁと思い直した。純粋に"ワクワクする方へ"飛び込むことのできる鞠莉にこそセンターが似合う、と感じた。逆に果南は少し考え過ぎてしまうところがある。そこがまた可愛いのだけれど。幼少期の果南は自由奔放で気の向くままに鞠莉とダイヤを引っ張り回した。歳を重ねるにつれ、楽しいだけではどうにもならないこともあることを知った。伴い、少し臆病になった。一方、鞠莉は純粋に果南の性格を引き継いだ。あの快活でパワフルな性格の根元には果南がいることに違いないだろう。そういう幼馴染の関係性の変化や性格の変遷を感じられるのもラブライブサンシャインの面白いところだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Over The Next RainbowをCD音源で初めて聴いた時から引っかかるものがあった。今更声を大にして言うことでもないが、

 

「これはラブライブ勝戦のアンコール曲だ」

 

と。

 

ラブライブ優勝グループにはアンコールの権利が与えられる。劇場版で行われたラブライブ勝戦(延長戦)においてアンコールは行われなかった。ならばこれがアンコールの曲だろう。そんな短絡的な発想だ。

 

とにもかくにもそう思っていたから5thで、Believe again、Brightest Melodyの後にOver The Next Rainbow来た時、とてもしっくりきた。

 

ん。

 

キセキヒカルやってない…

 

そう、キセキヒカルをやらなかったのだ。5thは当たり前のように劇場版にそって進んでいくと思っていた。しかし、違った。よくよく思い返してみると、5thは劇場版の追体験ではなく、ライブのために再構築された構成だったように感じる。

 

 

 

 

 

 

話は逸れるが、コンクールの是非について少し考えてみたい。音楽(あるいは芸術分野)という本来優劣をつけられないものに対して、あえて評価を下し勝敗を決めることに意味があるのか、というものである。音楽とは音を楽しむと書く。勝敗を決めることによって悔しさや悲しさを感じてしまっては本末転倒ではないか。評価に正当性はあるのか。結局判断するのは人でありその好みによって評価が下される。技術的な判断基準もあるだろうが、スポーツのようなわかりやすい勝敗の決まり方ではない。故に結果に納得できないことも多々あることだろう。楽しく音楽をやることができればそれでいい、というのも一つの選択であり、あえて勝敗を持ち込む必要性はない。

 

 

まぁ個人的な見解を言えば、コンクールは必要だと思っている。ここで大事なのはコンクールで勝つことは目的ではない、ということだ。勿論、結果は大事だし気になって仕方のないことだ。しかし、勝敗は、コンクールは、あくまで手段でしかない。より良い演奏を求め、理想を求め、努力を積み重ね、自身最高の音楽を生み出す。大事なのはその点だ。最高の演奏をすることによって得られる達成感、それを得る舞台として用意されるのがコンクールだ。音楽をやる理由は十人十色であるが、コンクールに出る以上、誰もがより良い演奏を目指し切磋琢磨し自身最高の音楽を生み出す、それが目的となる。

 

 

 

 

さて、話を戻して。Over The Next Rainbowがアンコール曲であるならばAqoursSaint Snowはダブル優勝したことになる。ここで勝敗を決めることに意味はないだろう。それは劇場版のシチュエーション的にもそうであるが、もっと大きな意味でラブライブサンシャインの文脈的にもそうであるように感じた。ラブライブという大会は「輝く」ための舞台装置でしかなく、勝敗を決めることはその"手段"でしかない。AqoursSaint Snowはもう既に「輝く」とは何かをわかっている。故に勝敗を決めるといった"手段"がなくとも、彼女らは自身最高の輝きを放つことができるようになっているのだ。お互いが最高のパフォーマンスを発揮していることをよく理解している。だからこそのダブル優勝。

 

勝敗があるということはそこに苦悩がある。5thのAqoursSaint Snowはその苦悩を乗り越えた先の景色を見せてくれたように感じている。現実の厳しさや夢を追うことの難しさを描いた作品であったけど、節目であるこの5thで、音楽が、アイドルが、本来持つ楽しさに着地した。それがあの決勝戦であり、ダブル優勝であり、アンコールであるのだ。

 

そんな足掻き続けた者たちだからこそ辿り着いた境地を垣間見たような気分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

劇場版でラブライブサンシャインのアニメは区切りとなった。彼女達はこれからも輝きに向かって生き続けるが僕らがそれを見ることはない。

 

5thは劇場版の文脈を受けてのライブとなった。劇場版は9人のAqoursとして最後のライブを行った。だから、僕の気持ち的には5thがAqoursの最後のライブなのだ。勿論、キャストとしてのAqoursの活動はまだまだこれから続く。キャストがアニメの文脈から切り離されるわけではない。あくまでアニメの延長線上にキャストの9人もいる。けれど、だからこそ、キャストも、オタクたちも、ラブライブサンシャインの文脈と真正面から向き合うようなライブである必要があった。そしてこの望みは期待以上のものとして叶えられた。3年生が卒業するということ、環境が変わるということ、新しいAqours、新しい夢、そんなAqoursが直面した問いに僕も全身で受け止められたと思う。

 

 

 

 

とても、素敵なライブだった。