ぽけてん

someone in the crowd

Raindrop Melody

みなさんは「雨」と聞いた時、どんな印象を持ちますか。

 

良い印象を抱く人は少ないと思います。実際、通学又は通勤しようとした時に雨が降ってたら「はぁ~なんだよ、家でひきこもっててやろか?」ってなりますよね。雨が降ってて「ひゃっほー!雨だ!るんるん!」なんて思うのは心に大きな闇を抱えてる人か河童以外にありえないでしょう。

 

とはいえ私は雨音を聞くのは割と好きだったりします。屋根やアスファルトをぱらぱらと叩く雨音を聞きながら部屋で読書をしていると極めて優雅な気分に浸れちゃいます。雨音の旋律に合わせて声優雑誌を音読これこそ気品溢れる素敵な休日です。現代の貴族はここにいます。まぁハイテク文明に侵されて感性が腐ってしまった今時の人々が雨音に趣を感じるのは難しいかもしれません。

 

日本語には結構雨に関する語彙が多いんです。何故雨に関する語彙が多いのかと言えば日本には雨が多い故と考えられますが、雨に関する語彙を調べているとその感性の鋭さに驚かされます。そんな状況の雨も語彙としてあるのか!みたいなのが結構ざくざくと出てきます。色々ご紹介したいとも思うのですが脇道に逸れまくってしまうので興味のある方は自分でお調べくださいませ。え?

 

 

 

とまぁなんでこんな話をしたかと言えばラブライブサンシャイン22話の話をしたかったからなんですけど(導入が下手)。あえて私がラブライブサンシャイン1番好きな話をあげるとしたら22話を選びます。それ程好きです。雨の音、最高。

 

22話では、自分達は圧倒的に好みが合わない者同士だと提示しつつ、だとしても、だからこそ、お互いを尊重しつつひとつの曲を作っていこうという結論に辿り着きました。その結論に至る過程が本当に素晴らしい。

 

テンポも音色も大きさも

ひとつひとつ全部違ってバラバラだけど

ひとつひとつが重なって

ひとつひとつが調和して

ひとつの曲になっていく

 

13年性はお互いの差異を明確に知ることとなった。その事実に失望しかけたが、雨音から着想を得て、ひとりひとり違っていいのだと解を掴んだ。だって雨音はあんなにも美しいメロディを奏でているのだから。

 

アニメで、しかもスクールアイドルのグループ内で、お互いの差異を描くという脚本のセンスには本当に驚かされます。そこは御都合主義でいいじゃん。そこまでリアルにしちゃうと逆に怖いよ。そしてその悩みは余りにも私にとって等身大すぎるものでした。

 

 

私がひねくれた性格をしてるからかもしれませんが、自分と気が合う人って思ったよりずっと少ないなぁと感じます。価値観の多様化なんてよく言いますが、確かに現代社会では情報が氾濫してて、様々な人が様々な好みを持っていますよね。地球上には70億もの人がいるけど、私自身と気が合う人なんて本当にいるのか、なんてよく考えてます。Twitterを見れば呆れるほどツイートが乱立してて、秋葉原を歩けけば蛆虫みたいにキモオタがうようよいるけれど、どうしたって孤独が私をつきまとうんです。

 

 

まぁそんなことを常日頃から考えていたからこそ、22"雨の音"は私にかなり刺さりました。

 

 

さて、唐突に話の毛色が変わるのですが、アニオタとしてラブライブサンシャインの物語を見た時に、いくつか異質だなと思ったところがあります。特に私が異質だと思ったのは、"名脇役が多い"ということです。基本的に深夜アニメは1又は2クールという短い尺なので、脇役にはそんなに台詞は振らず、主要キャラにスポットを当てるものです。けれど、ラブライブサンシャインは物語の重要なポイントに立っているのが意外にも脇役だったりします。

 

 

27話。廃校が決定し、足が止まりかけたAqours。学校が救えなかったのに輝きが見つかるはずはない、と。沈んだ顔を引っ叩き、背中を押したのは今までAqoursの活動を応援し続けていた浦の星女学院の生徒達だった。高海千歌という小さな波紋はやがて9つの波紋となり、それは大きな波を呼ぶ。そして寄せた波は帰ってくる。

 

本作では浦の星女学院生徒達の心の機微までは描かれない。Aqoursの活動が生徒達にどのような影響を与えたのかは想像することしか出来ないけれど、前向きで明るい変化を生み出したことと予想できる。だからこそ、Aqoursが停滞しかけた時、声をかけることができた。自分達も前向きに支えたい。そんな純粋で崇高な想いが働いたのでしょう。「浦の星女学院という名前を残して欲しい」という生徒達の願いは無力な高校生が出来る唯一の世界への抵抗という印象を受け、とてもラブライブサンシャインらしいと感じました。

 

道はひとつではない

 

 

 

212話。唐突に浮かび上がる他のスクールアイドルの影。自分達だけでなく、スクールアイドル誰しもがその頂を目指している。そこに現れたのはライバルであり盟友のSaint Snow。聖良は問う、「勝ちたいですか」と。

 

高海千歌は再び迷う。何のために、誰のために、スクールアイドルをやっているのか。

 

今一度、自分の原点へと振り返る高海千歌。この辺りは本当に上手い物語の構造だなぁと思います。112話の意趣返しから始まり、"0"という記録、そして物語の始まりであるUTXへと帰結する。風が迷いを浚う。

 

高海千歌は決意を新たに決勝へと一歩踏み出す。

 

 

 

 

213話。

 

 

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「あいかわらずバカ千歌だね」

「何度でも飛ばせばいいのよ、千歌ちゃん」

「本気でぶつかって感じた気持ちの先に答えはあったはずだよ」

 

いや~この最重要な役割を高海一家が担うとは。もうここは高海一家の台詞以上に語ることは何もないですラブライブで優勝してもなお、「バカ千歌」と言ってくれる美渡姉がほんとに好き。このシーンを観ると、千歌曜梨子の3人で行った1stライブの時、美渡姉が颯爽と登場するシーンがリフレインするんですよね。美渡姉はずっと側にいたんだなぁと。なんですかね、この美渡姉の千歌に対する無償の愛は。いや、高海千歌、おまえ、劇場版で絶対恩返ししてやれよな、ほんと。

 

ちなみに本作で美渡姉が「バカ千歌」と言った回数は173回で"いなみ"となっております。え?

 

紙飛行機は飛んだ。

 

 

 

 

さて、このように高海千歌が悩んだ際、背中を押したり提言したり手を差し伸べたりしたのは意外にも脇役の方々であることが多いことがお判りいただけます。

 

 

ラブライブサンシャイン9人だけに留まらず横に広い物語となりました。たった2クールのアニメでこれだけ登場人物を出すのもなかなか大変ですよ。

 

人は生きている以上、多くのコミュニティに所属することになります。それは学校や会社だったり、部活や趣味の集まりだったり、家族だったり。それらのコミュニティは往々にして自分自身に多くの影響を与え、同時に自分自身も何かしらの影響を与えているのです。そうやって相互作用を綿々と続けることが"生きる"ということなのかなって。そして知ることでしょう、人は皆、違うのだと。テンポも音色も大きさも。だけどそれは重なってゆくのです。

 

Aqoursの輝きに照らされ変わろうと思った者達の雨粒、同じ視点に立つ同志の雨粒、身内を想う愛の雨粒。それぞれが調和し、曲が生まれるのです。他者が入り込むことで、違った雨粒が降ってくることで、新しい物語が生まれるのです。

 

つまり、様々なキャラクターにスポットを当て、相互的に物語を進める。これこそが無印時代から続くテーマである"みんなで叶える物語"を体現した構成なのだと私は感じました。

 

 

 

"wonderful story"ではなく、

"wonderful stories"なんです。

 

 

 

 

 

みなさんは「雨」と聞いた時、どんな印象を持ちますか。