ぽけてん

someone in the crowd

劇サの時系列の話。

 

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結論から申し上げますと、ラブライブサンシャインの時系列は、

 

 


2期13話Aパート

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劇場版本編

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2期13話Bパート

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劇場版アバン&OP

 


ではないかと思ったわけです。

 

 

 

つーことで以下そう思った理由を色々書いていきますよ。4つくらい。

 

 

 

 

 

 

こう思ったきっかけというか、そもそも公開前は劇場版ってどの時系列でやるんだろうって疑問がずっとありました。だってTVシリーズで完璧に綺麗にまとめたじゃん。もう何かを盛り込む余地ないって。これ以上何を付け加えようって言うんですか。サクラダファミリアじゃないんだから。ってな感じで7不安、3期待くらいの感じで1年間を過ごしていました。

 


で、劇場版観て、うおー!となったわけです。いけすやのアツアツのアジフライを食った時くらい感動しました。うおー!

 


周回して、気持ちも落ち着いてきたあたりで疑問がふつふつと湧き上がってきたんですよ。

 


2期13話Bパートで千歌は「鞠莉ちゃんも果南ちゃんもダイヤちゃんも行っちゃった」と言っていたわけです。この"行っちゃった"は勿論、"卒業旅行に行っちゃった"ではないことは明らかですよね。普通に考えればそれぞれの道に進んだと捉えられます。という理由でまず2期13話Bパートが劇場版の後なんじゃないかって思いました。

 


加えて言えば、Next SPARKLINGを観に来た三年生の服装と2期13話Bパートの千歌の回想に現れる三年生の服装は同じです。「見届けたらすぐ旅立つよ」という劇場版の果南の言葉通り、Next SPARKLINGを観て、すぐに三年生はそれぞれの道へと飛び立ったと考えられます。

 


三年生、ライブ当日に合わせて荷物まとめた感じ…?てか鞠莉は何故かヘリコプター乗る回想だし…成田空港までヘリコプターで行くんすかね…。

 

 

 

 

 

 

劇場版、どういう結末にするかは製作陣も相当迷ったことでしょう。個人的な要望をいうと、それぞれの道に進んだ果南、鞠莉、ダイヤの姿それぞれ1カット、進級した千歌、曜、梨子、ルビィ、花丸、梨子の姿をそれぞれ1カット見たかったなぁと。まぁそれだとschool idol movieにはならないのかな。わからんけど。

 


でも少し寂しそうな表情をしながら新しい制服を着る千歌を観たかったですよね!?!?というか、新しい制服を着せるべきだったのでは!?!?新しい一歩という意味ではこれほどわかりやすい演出はないでしょ!?!?しかし、着せられない理由があるんすよ…時系列の後ろに2期13話Bパートがあるから…制服が届くのは2期13話Bパートなんすよ…。「新しい制服届いたよー」って。

 


志満ねぇ好き!!!!!!!え、そういや、劇場版、志満ねぇの出番少なすぎません!?!?!?!?!?!?

 

 

 

 

 

 

流れ、です。物語の美しさとでも言いましょうか。1期1話から物語が始まって以降、ずっと千歌は問い続けていました。"輝き"とは何か。ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、問い続けた。物語の最後の最後に答えを見出す。綺麗な流れ。そういう意味でもやっぱり2期13話Bパートがラストであって欲しいんですよ。2期13話Aパートでも、劇場版本編でも、千歌は輝きの正体が何かわかってなくて、最後の最後に答えへと辿り着くという構成、これが美しいと思います。

 


2期13話Bパートって抜け殻になったような千歌を映して始まるじゃないですか。いろんな経験を積んできた千歌がふと原点を振り返る。人ってずっと走り続けられるわけじゃないから。たまに立ち止まったりもするわけですよ。その無重力的なふわふわした瞬間が意外に大事だったりするわけです。ふと我に返って俯瞰して物事を見ることで気づけることがある。そんな瞬間が千歌にも訪れて、紙飛行機によって導かれるのです。

 

 

 

 


と、まぁ私の理屈で言えば「僕らの走ってきた道は…」が真のEDとなるわけです。歌詞を見ると今までの物語の総括ような言葉が綴ってありますね。Aqoursの軌跡を綴った歌詞。そこに添えられる明朗快活なメロディ。Aqoursを象徴する一曲に仕上がってると思います。

 


OPってアニメの顔じゃないですか。しかし同時にアニメを根幹から支える支柱でもあったりするんですよね。そこがアニメのOPの面白いところだと思います。形式上でいえば「僕らの走ってきた道は…」は劇場版のOPにあたるります。このOPの歌詞、劇場版の全てを語ってますよね。往々にしてアニメのOPってそういう役割を担ってるわけです。そのアニメを一曲に凝縮するとOPとなる、みたいな。

 


よくある演出でOPをアニメ最終話の挿入歌に持ってくるやつあるじゃないですか。あの激アツ演出。物語の終盤を経て、改めてOPを聴くとはっとさせられることが多いです。この歌詞はこういう意味だったのかと気づくのです。そういう面白さがOPにはあるのです。

 


訓練されたオタクなんかはOP観ただけでそのアニメのオチを予想できちゃうなんてこともありますから。劇場版まどマギ叛逆の物語なんてOPの情報量ありすぎて笑いますよあれ。

 


まぁだから「僕らの走ってきた道は…」が劇場版OPであり真のEDである、ラブライブサンシャインの幹である一曲という理屈(私の強引な意見)は個人的にはしっくりくるところがあるんですよ。

 


TVシリーズで一度閉じた幕が再び開く。物語は閉じることはない。彼女たちはこれからも生きていく、走り続ける、終わらない夢を見る。

 

 

 

 


てか、「僕らの走ってきた道は…」、なんであんなに無限に女の子出てくるんすかね…ちょっと怖くないすか…パステルカラーの統一された服着て…優勝を果たせなかったスクールアイドルの悔しさの念がAqoursによって円環の理に導かれるとかそういう話…?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Q & A のコーナー

 


まぁつっこまれそうなところは先に答えておこうみたいな感じです。

 

 

 

 


Q.劇場版本編冒頭で千歌(曜だっけ)が「いっちゃったね」って言ってたけど?

 


A.(イエティは実在するって)言っちゃったね

 

 

 

 


Q.劇場版アバンで三年生が「みんなに伝えたいことがある」って言ってたけど?

 


A.超弦理論をご存知でしょうか?この瞬間Aqoursは11次元に存在していて宇宙より介在するのはグッドバイブレーションとなるわけです。

 

 

 

 


Q.校門の開け閉め、しつこくない?

 


A.2期13話Aパートで涙の閉門。劇場版終盤で何故か校門が開いている。笑顔の閉門。2期13話Bパートで何故か校門が開いている。しめて、あいて、しめて、あいて…。

過去(浦の星女学院)ってのは常に開いているべきなんですよ。今が積み重なって未来へと続くならば、全ては連綿とした流れなわけで。2期13話Bパートで千歌が校門を始め、それぞれの部屋のドアを開けるのはそういう意味があるのかなって。全ての軌跡が自分を形作るなら、Aqoursとして走り抜けた日々が自分を支えているなら、過去は閉じるものでも、決別するものでも、ない。全ては自分の胸に降り積もっていくのです。虹に色が無限に重なっていくのです。鞠莉が母親に自分の在り方を証明したように、ルビィが理亞に消えない想いを証明したように、確かなものが胸に刻まれているのです。そう、これが人生であり「WATER BLUE NEW WORLD」なのですよ。

 

 

 

 


Q.旅立った三年生が「WONDERFUL STORIES」で現れるのワロタ

 


A. ميمومي على الثدي

 

 

 

 


Q. 「WONDERFUL STORIES」「僕らの走ってきた道は…」の千歌の髪留め、四つ葉じゃないけど?

 


A.あの髪留め、葉っぱはアタッチメント式で取り付け自由らしいですよ。なんかの雑誌に書いてありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい、とまぁ以上となります。説得力があったかどうかはわからんですけど、こういう意見もあるよってことで。まぁ逆説的に2期13話Bパート→劇場版って流れで生まれる矛盾もありますし、そこをつついても良かったのですが、書くの疲れたのでこの辺で切り上げます。読んでいただきアリーベデルチ