ぽけてん

someone in the crowd

旅立ちの朝日-Brightest Melody-

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コンクリートを破る雑草、トンビの鳴き声、錆びたガードレール。今や絶滅危惧種と呼ばれている折りたたみ式の携帯から乾いたシャッター音が鳴る。

 

日差しから春の訪れを感じる。こんな優しい陽気の中、昼寝をしたらさぞ気持ちいいだろう。

 

「次はどこ行くの?」

 

「そうですわね…」

 

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ラブライブサンシャイン1期6話「PVを作ろう」は2年生・1年生が内浦の魅力を探る話だった。紆余曲折あり、最後には内浦の魅力に気づき、楽曲「夢で夜空を照らしたい」が生まれる。

 

 

で、結局、内浦の魅力ってなんだったのだろう。作中ではその答えが特に言葉で語られるわけじゃない。他の視聴者がどう感じとったかはわからないけど、バカな僕からすると結局魅力ってなんなの?となってしまった。

 

 

まぁ町の魅力を語れと言われてすらすらと答えるのは結構難しい。僕なんかは理系だからどうしてもロジックで答えたくなるけど、町ってそもそもぼんやりとした概念だし、"居心地"を理屈で語るのは大変だ。

 

 

千歌たちもそうだったようにまず"利便性"を考える。何処かに住もうとなったらまず考慮するのが利便性だ。しかし、内浦が利便性に優れているとはとても言えない。沼津駅に行くのもバスで30分もかかる。一生懸命作ったPVは鞠莉にダメ出しされてしまう。

 

 

利便性だけでは語れないものがある、というのな意外に重要なポイントかもしれない。それは町の魅力を語るといった場面以外でも。

 

 

内浦の魅力を語れ、と言われたら僕はどう答えるだろうか。やはりまず思いつくのは風光明媚さだ。内浦、ラブライブサンシャイン抜きにしても景観が良すぎる。単に僕が港町の景観が好きってのもあるけど、あの湾曲した海岸通りをのんびりと歩くのがとても気持ちいい。漁船がぷかぷか浮かんでて、凪いだ海が陽光を反射する。港町内浦ちゃん可愛すぎ。え?

 

 

と、まぁ語ろうと思えばもっと語れるけどそれは別の機会にということで。町の魅力って外部の人間の方が語りやすいところはあるだろう。住んでいるとその場所の良さというのはなかなか気づけない。だってそれは自分にとって当たり前になってしまっているから。

 

 

僕は千葉県生まれ千葉県育ちだ。生まれてから大学4年生までの22年間、実家で過ごし、社会人になると同時に実家を出た。僕は地元を好きでもなかったし嫌いでもなかった。住んでいた頃から利便性に優れているなという実感はあったから特に不満はなかったけど、特段好きなところもない。そんな思いで過ごしていた。

 

では、今はどうか。今の自分の地元に対する感情を言葉にするのは難しい。ただ少なくとも好感的な感情であることは間違いない。よく聞く話で一度離れてみるとどうこうみたいなのがあるけど、実際離れてみることで地元に対する思いは結構変わった。どう足掻こうとあの場所が僕の原風景だし、いろんな思い出があの場所に詰まっている。毎日通ったあの通学路が妙に懐かしい。そんなノスタルジーな思いが強まった。

 

でも、やっぱり地元を好きか嫌いか問われると難しいけど、自分を形作ったあの場所は僕にとってかけがえのないものであることは確かだ。

 

 

ごちゃごちゃ書いてきたけど、1期6話における千歌たちが辿り着いた内浦の魅力ってなんなのって話は、"当たり前だと思ってたものが意外に魅力だったりする"ってのが答えなのかなぁと。つまり、綺麗な海、海を挟んで望む富士、美味しい海鮮、温かい人、そんな千歌たちにとって当たり前だと思ってた様々な要素が内浦の大きな魅力である、ということなのかなと思った。それは千歌たちが梨子の視点を借りて得た実感であり、僕が地元を離れて得た実感でもある。そんなふうに僕は1期6話を結論づけた。

 

 

夢で夜空を照らしたい」後、千歌のモノローグで話は締めくくられる。

 

私、心の中でずっと叫んでた。助けてって。ここには何もないって。でも違ったんだ。

この場所から始めよう。できるんだ!

 

 

ラブライブサンシャインを語るにおいて何度も言っているが、結局人生とは自分が物事をどう捉えるかどうかが全てなのだ。どんなものにだって自分が意味を見出すことができればそれは価値のあるものとなる。千歌は内浦に対して何もないと決めつけていた。けれど梨子の一言によって内浦に対する見方が変わった。新たに価値を見出すことができた。そうやって人は新しい価値を見出しながら人生を豊かにしていくのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話は変わって劇場版。

 

 

Aqoursの9人で歌う最後の楽曲「Brightest Melody」。Aqoursはこれからを、この先を、高らかに歌い上げた。ラブライブで優勝したって、3年生が卒業したって、人生はまだまだ続くし、楽しいことはまだまだ沢山待っている、そんな希望を歌っている。

 

 

変わらないものなんてない。時が移ろう中で人も場所も変わっていく。それは自然の摂理で当たり前のことなのだけれどちょっぴり切ない。いつだって別れは寂しいものだ。

 

 

人生は出会いと別れの連続だ。僕はふと思った、何も出会いと別れは人に対してだけのものではないだろう、と。

 

どういうことか。出会いと別れは対人的なものだけでなく、自分の内側における出会いと別れもあるのではないか。

 

つまり、"別れ"を昔の自分との決別と捉える。何をしていいかわからずくすぶっていた自分との、何をやっても上手くいかなかった自分との、人見知りな自分との、本音を言えなかった自分との、"別れ"。そして決別したことによる新しい自分との"出会い"。

 

それが顕著であったのは可愛い劇薬こと黒澤ルビィだろう。1期1話のルビィと比べると、見違えるような成長した。ラストのNext SPARKLING前の司会進行役は本当に驚いた。あれも新しい自分との出会いと言える。

 

 

 

 

輝きを求め、沼津で活動を始めたAqoursが、その沼津で最大の輝きを歌ったことに意味がある。「夢で夜空を照らしたい」の後、千歌は"ここから始めよう"と言った。そして「Brightest Melody」の歌詞にもあるよう"描いたミライはイマになった"のだ。がむしゃらに駆け抜けて辿り着いた場所で、最大の輝きは響き渡った。沼津で灯った小さな光はやがて数が増え大きな輝きとなり沼津を照らしたのだ。

 

夢で夜空を照らしたい」は夕日が照らす学校の屋上で歌われているのに対し、「Brightest Melody」は朝日が照らすラクーンの屋上で歌われている。この対比も面白い。

 

 

僕は思う。"いつだって、どこだって、自分で意味を見出し、行動し続ければ人は輝ける"と。輝きは時間にも場所にも依存しない、縛られない。辺鄙な田舎町に住む普通の女子高生が始めたスクールアイドル。その活動は決して楽なものではなかった。特別な才能があるわけではない、恵まれた環境があるわけでもない、劇的な幸運があったわけでもない。けれど、輝けた。最大の輝きを僕は観た。

 

生きるうえで外的な要因って沢山あると思う。大抵が障害だ。どうしようもないことも多い。でも、多分、根本的な問題は自分の内にある。全部、内的な話に帰結する。輝きの原石はどこにでもあるし、それはきっかけがあればいつだって輝くことができる。自分が輝こうと本気で思えば輝ける。旅立ちの朝日は何度だって挑戦する者を照らす。それをAqoursが世界に証明したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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寄せては返す波の音。毎日のように見たこの海岸が妙に新鮮に見える。

 

「お付き合いいただきありがとうございました。」

 

「ダイヤも物好きね。こんな毎日見た景色を改めて写真撮っておこうなんて。」

 

「写真として残しておこうって気持ちはわからなくもないけどね。」

 

「ここで経験したことは決して忘れることはないでしょう。けれど、残しておきたかったのです。この瞬間の私の原風景を。この瞬間の私の気持ちを。」

 

 

さようなら私の原風景。こんにちは私の新しい夢。