ぽけてん

someone in the crowd

梅酒に合うつまみが存在しない

 

幼き頃、僕は食事に関心がなかった。食事は生命の維持活動でしかなく、誰かと食卓を囲む愉しさや味覚の悦びを知らなかった。学校の宿題と同じで決められた事項として捉えていた。

「いただきます」の意味を理解したのは随分と後のことだった。

その感覚は今でも少し残っていて、僕の中で食事には義務感が重なる。だからか他人の食事に対する拘りを聞くとなんだか遠い異国の話のように思えるのだ。

とはいえ、ある程度の好みはあった。あの頃、僕は梅干しが好きだった。小学校を卒業し、中学校入学を控え、モンスターハンター2nd Gが発売したあの時期。

冷蔵庫を開き、パックから指で梅干しをつまむ。口の中で広がる甘酸っぱさに僕は思わず踊り出す。

僕はマンションに住んでいた。今思えば奇妙なことだが、同じマンションに同級生が10人いて、そのうち5人が同じ中学のサッカー部だった。

部活が終わるとそのまま僕は13階に住む同級生の家に行き、モンスターを狩った。いくつかクエストをこなした後、冷蔵庫を開き、パックから指で梅干しをつまむ。何故かわからないが当時、僕らの間で梅干しが流行っていた。僕らは梅干しの種を13階のベランダから飛ばした。飛ばした種はクレパスみたいなパキッとした青空に溶けていった。

それから時は約10年を経て、僕は池袋の鳥メロにいた。仕事終わりの飲酒は壮絶であった。仕事の疲れをアルコールで洗う。社会の片隅で届かない未来に縋る残酷さ。結果、西武線のトイレによく籠った。

僕が酔う時いつも隣には彼がいた。梅酒。13階で梅干しを頬張った僕、仕事終わりに梅酒を飲む僕。無垢と哀れが10年という歳月を挟んで胞衣となる。随分と色々なものが変わった。

悲壮!

ある時期、僕はボードゲームをやりたいと思っていた。聞くところによるとボードゲームとは爆裂に面白いらしい。おすすめのボードゲームやボードゲームカフェの所在をインターネットで調べたりした。全てを知り尽くす勢いで調査した後、ひとつ気づいたことがある。ボードゲームは友達がいないと遊ぶことができない。これは決定的な盲点だった。万年友達がいない僕にとってそれは厳しい隘路であり、全てを諦めるには十分な理由だった。僕は滂沱した、友達が欲しい、と。

歳を重ねれば重ねるほど、ひとつ、またひとつ、この手から零れ落ちていく。希望の像は明確になればなるほど遠くなっていく。

助ケテ!

僕は好んで梅酒を飲むわけだが、以前から気になることがあった。梅酒に合うつまみが存在しない、と。

アルコールを含む飲料には大抵相棒がいる。赤ワインにはステーキ、日本酒には刺身、ビールには餃子、ウイスキーにはナッツ、キタサンブラックには武豊

梅酒、貴君には仲の良い人はおらぬのか?

「…………………………。」

あゝ、どこまでも孤高なんだ。

人の孤独に要因があるのか、そんな不毛なことをたまに考える。きっと望んで孤独になる人はいないだろう。世界が気まぐれに僕らを玩弄するのだ。健気な僕らはそれをただただ受け入れるのみ。

繊細な文士である僕に友達がいないように、梅酒に合うつまみは存在しない。だからこそ、僕らは惹かれ合うのかもしれない。