ぽけてん

someone in the crowd

あの日見た海

遠くで揺れる陽光、じっとりとした松の香り、ローカル局のラジオ番組……何かしらがきっかけで、僕の身体は一瞬にしてあの青空の下に晒されることがある。10歳くらいの僕は海に訪れていた。空に屹然とする太陽は地面に濃い影を作り出し、吹き上げる海風は潮の香りを運ぶ。父と母と3歳年上の兄と僕の4人は海まで続く坂を下っていた。昔の情景。

記憶というのは不思議なものだ。直接的・間接的に関連のある過去の事象に触れた時、全く忘れていた記憶が呼び起こされ、その情景が眼前に広がるのだ。勿論、消えゆく記憶もあるだろう。けれど、実際のところ自分が思っている以上に多くの過去が脳に蓄積されているのかもしれない。

僕が唐突に思い出したのは一冊の小説だった。その日、僕は夜の公園をのんびりと歩いていた。土日の昼間は家族連れで賑わう大きな公園だが、平日の夜だと殆ど人はいない。落ち葉を踏み潰す音が妙に大きく響いた。公園の奥には大きな池がある。夜の公園で見る池は途方もなく黒くて、人の悲哀を食べているように見えた。人の悲哀を食べ続けたために池はどこまでも深い黒に染まってしまったのだ。僕は何をするでもなくただ黒い池を眺めた。細い月は夜空にぽつんと浮かび、同様に黒い池にも細い月がぽつんと浮かんでいる。その時、柔らかい風が吹いた。枝葉がさらさらと音を立て、黒い池の水面にさざ波が広がり、細い月が儚げに揺れた。突然、海馬の引き出しが開き、僕の思考は過去に沈む。

マドンナがワールドツアーをした年、僕は高校二年生だった。その日は特に理由もなく学校を休み、ジャズ喫茶で小説を読んでいた。ディスコで出会った艶やかな髪を持つ女性から貰った小説。主人公が饒舌なラクダに乗って旅をする物語だった。派手なシナリオではないが、特徴的なテンポで進む物語は僕によく馴染み、今まで感じたことのない感覚に包まれた。

読後の感情だけが異様な色彩を帯びながら僕の身体を駆け巡っていた。小説のタイトルも著者も思い出せなかったが、心だけが過去にタイムスリップしてあの時の感覚を克明に再現している。ノスタルジーが不均一に降りしきり、夜の公園の中で僕だけが動揺していた。印象的な小説だったのに内容を断片的にしか思い出すことができない。事実として確かなことは、僕は黒い池の前でその小説を思い出した。それだけだ。

 

 

僕は何人かの友人に電話をかけた。先日、夜の公園で思い出した小説について知っている人がいないか確かめるために。

「饒舌なラクダに乗って旅をしていて、いくつかの街に訪れ、人と出会い、別れる、そんな話なんだ。知らないかな?」

断片的に出せる情報だって正確とは言い難い。読んだのはもう7年も前のことになる。残念ながら極めて断片的な説明からその小説の詳細を導き出せる友人はいなかった。ただ、文学部に進学した友人から小説に辿り着く糸筋を掴むことはできた。

「私の知り合いに果てしなく本に詳しい人がいるの。ニコチン依存症の人が毎日煙草を吸うようにその人は毎日ひたすら本を読む活字依存症のような感じなの。小説も年間相当な数を読んでいるそうよ。その人に取り次いであげる」

檜山さんは錆びついたガードレールみたいな声の持ち主だった。活字依存症になると声帯に異常をきたすものなのかもしれない。70代の男性ということは聞いていたが、樹海の奥に住む仙人のような風格を感じられた。その声は音として耳に入ってくるものの、日本語として僕の脳が変換するまでに若干の時差が生じた。なんだか英会話教室にでも来ているようだった。僕が小説の覚えている部分を説明すると、檜山さんは唸り声をあげながら考え込んだ。

「その小説は読んだことあるな。確かタイトルは『流転砂巡礼』だったと思う」

本に果てしなく詳しいというのはどうやら本当だったようだ。僕は驚きと感謝を述べた。

「本にはそれぞれの光がある。その全ての光を覚えておくことは不可能だが、なるべく覚えておきたいとは思うのは私自身の抗いなのかもしれない」と檜山さんは最後に言った。

こうして僕は記憶の片隅で光る小説に近づくことができた。

 

 

僕は近所の図書館へ向かっていた。その日は気持ちの良い秋晴れだった。道路に並ぶアオギリが暖かい日差しを受け伸びやかな表情をしている。美容室の前でフレンチカジュアルに身を包んだ女の子が真剣な表情でポケベルを見ていた。どんなメッセージが来ればあれほど真剣にポケベルを見ることになるのだろうか。あるいはメッセージを待っているのかもしれない。

図書館は家から歩いて15分くらいのところにある。石造りで窓が大きく西洋の古民家を思わせる建物。築年数は長いと思われるが手入れが丁寧で古びた印象はない。図書館の中に入ると採光が良いためか自然な暖かさがある。以前、建築科に進んだ友人が日本家屋の採光が悪いのは日本人の陰湿さの表れだと言っていたことをふと思い出した。図書館で僕は『流転砂巡礼』について二つのことを知り得た。1つ目、その小説は既に絶版になっていること。2つ目、その小説は僕の訪れた場所を含め近隣の図書館では在庫がないこと。やれやれ。

その後、僕は時間を見つけては書店に足を運び、『流転砂巡礼』を探したが見つけることができなかった。もどかしさばかりが重なり、目のないサイコロを振っているような気分だった。探すのを諦めようかと何度か考えたが心の隅に不和が残り続け、どうしても忘れることができなかった。通勤でコートを羽織るようになり、駅前でイルミネーションが飾られた頃、僕は近所の書店を全て回りつくし万策が尽きかけていた。僕は再び檜山さんに電話をかけ、『流転砂巡礼』を持っているか尋ねてみた。檜山さん曰く、読んだ本の大抵は納屋にしまっているようで、探せばあるかもしれないとのことだった。ただ、しまってある本の数が膨大なため探すのは難しいと伺った。僕は頼みの綱が檜山さんしか残っていなかったため、自分で探させてはもらえないか打診をしてみた。

「あの納屋から1冊の小説を見つけ出すのは非常に骨が折れると思うが君さえよければ来てもらっても構わないよ」

 

 

駅前はロータリーとなっており、バスの停留所がいくつかあった。ロータリーに沿って置かれた花壇にはパンジーが植えられている。駅に併設された売店には妙に細長い菓子パンが売られていた。檜山さんの住む内浦は沼津駅から更にバスで30分ほどのところにあるとのことだった。そこで小説と出会える、そんな安易な確信があった。内浦行きの停留所を探しているとダークブルーのコーデュロイジャケットを着た同年代くらいの男性とすれ違った。い草を石鹸で洗ったような不思議な匂いがした。地方特有の洗剤なのかもしれない。

バスに揺られながら流れる景色をぼんやりと眺めた。住宅街が左から右に流れ、バス内は地元の病院をアナウンスしていた。突然、視界が開けた。街を抜けるとそこには海があった。劇的な景色。粉々に砕けたガラスをちりばめたように海は陽光をきらきらと反射し、淡く伸びる水平線のうえに麩菓子みたいな雲がいくつか浮かんでいた。ゆったりとした弧を描く海岸通りに沿ってバスは進み、果てなく青い海は明るい示唆のように思えた。

檜山さんの家は広い庭があり、外から立派な梅の木が見えた。初めて対面する檜山さんは少しイメージと違った。シルバーフレームの眼鏡をかけモスグリーンのセーターを着た檜山さんは仙人というより棋士のような雰囲気があった。姿勢がよく飄々としており年相応のくたびれた感じはなかったが、声は相変わらず壊滅的だった。挨拶を済ませ、手土産として壽堂の和菓子を渡した。今回ありがたいことに寝床まで提供いただくことになったのだ。

早速、納屋に案内してもらうことになった。納屋は想像の3倍ほど大きく、テニスコートくらいの広さがあった。納屋には自転車やバーベキューのグリルや釣り竿なんかが置かれていたが、半分くらいが段ボールの山となっており、そこに本が入っているとのことだった。ここから1冊の小説を見つけるのにどれだけの時間がかかるのか検討もつかなかった。僕はやや途方に暮れながらも小説の捜索を始めた。納屋の中はひんやりとしており、蓄積された時間の匂いが鎮座していた。段ボールの山を切り崩し、中を開き、本のタイトルを確認する。海辺の片隅にある家で記憶の中の小説を探す、どうにも珍奇な状況。なんだか宇宙空間にでも放り出されたような浮遊感だった。黙々と作業をし続けていると外から檜山さんの声が聞こえた。外に出ると辺りはもう既に暗くなっていた。

夕食は鰺の塩焼き、刺身の盛り合わせ、長芋の山葵漬け、海藻のサラダ等々、多くの料理が食卓に並んでいた。僕は重ね重ねお礼を言いながら食事をいただいた。檜山さんの奥様は物腰柔らかな人で、その穏やかさは料理の味付けにも反映されているようだった。沼津の地酒である白隠正宗を飲む檜山さんはよく喋りよく笑った。時々僕が内容を聞き取れないでいると奥様が通訳をしてくれた。こうして会話をするのは勿論初めてのことだったが、檜山夫妻の人柄もありとても愉快な夜になった。

布団に潜り目を閉じると、極めて静かで微かな波音だけが聞こえた。海の底から疎らな月明かりを見上げているみたいな気分だった。僕が住んでいる家は道路に面していて、電気を消して目を閉じると車の通る音が聞こえた。僕にとって闇は車の走行音と共にあるものであったから静かな夜に少し困惑した。海に沈み続けるように僕は深い眠りに落ちた。

腕は昨日の作業で筋肉痛を訴えていたが、翌日はより手早く作業を進めた。差し込む光が漂う塵を浮かび上がらせている。納屋の中は全ての生命活動が停止してしまうような寒さだったが、身体を動かしているうちに気にならなくなった。途中、檜山さんがラジオを持ってきてくれた。ラジオからはローランド・カークのドミノが流れていた。

一体、どのくらいの段ボールを確認しただろうか。段ボールを開き、本のタイトルを確認し、元に戻す。日が暮れ、ここに求めている小説は本当にあるのだろうかと何十回目かの疑い始めた頃、僕はついに『流転砂巡礼』を見つけた。

 

 

漁船の並ぶ海岸通りをゆっくりと歩く。駄菓子屋で飼われている柴犬、ムシロに並ぶイワシの煮干し、日に焼けて色あせたポスト、そんな風景を通り過ぎていく。陸地と淡島を繋ぐロープフェイがゴンドラを運び、空ではトンビが旋回していた。野良猫が道を横切り民家の中へと入っていく。海から数百メートルの距離に山があり、この街だけ隔絶された世界のように思えた。それほど内浦は何もかもが調和的なのだ。ぱりっとした冬の空気がどこまでも景色を透明にしている。トンビは空に溶けてしまったかのようにどこかへ姿を消していた。

海を見ながら内浦の海岸通りをふらふら散歩した後、僕は東京へ戻ってきた。いつものように電車に揺られ出勤し、ほどほどに業務をこなし、夜の公園を通ったり通らなかったりしながら帰路についた。そして僕は『流転砂巡礼』を読み終えた。物語の中では主人公が大きな池を眺めるシーンがあった。

 

 

僕は檜山さんを紹介してくれた友人と会っていた。モダンな喫茶店には客がまばらにいて、店内ではショパンの子犬のワルツが流れていた。その友人とは久々に会ったが、なんだか都会的な女性になっていた。折鶴のデザインのイアリングが素敵だった。

僕が檜山さんの家まで行ったことに驚いていた。今になって思うと何が僕をそこまで突き動かしたのか不思議だった。

「でも、小説が本当に見つかってよかったよ」

窓の外は突き抜けるような青空だった。

「ねぇ、人って時間が経つと感性まで変わっちゃうものなのかな?」

「そりゃ多かれ少なかれ変わるよ」あっさりとした言い方だった。

「実はあの小説読み終わった後、とても拍子抜けな気分になったんだ。今の自分にとってあの小説は極めて平凡なものに感じた。記憶の中で光る小説に僕は宝石のような価値を見出していたのに、宝石だと思っていたものは実はただの石ころだったんじゃないかって……これは自分の感性が濁ってしまったのか、自分の積み重ねた知見がその小説に対する評価を変えてしまったのかわからないんだ」

「結局、時間ってそういうものなんじゃない?」友人は思考まで都会的になっている気がした。「変化は誰にも止められないし、変わり続けることだけが世界なんだよ」と続ける。

そんなものだろうか。僕はこれからもこんな喪失感を抱きながら生きていかなくてはならないのだろうか。

「私もたまに考えるよ。感性の変化がもたらすのは自分の成長なのか、あるいは退化なのかってね」と友人は言った。

「どっちなんだろう?」

「それは……わからないよ」

店の奥に置かれていたピンボール台では学生らが遊んでいた。僕は紅茶を飲み、都会的になった友人を改めて見た。友人は髪を耳にかけ、紅茶を飲んだ。折鶴のデザインのイアリングが揺れている。

「小説を読んだことを後悔してる?」友人は僕に聞いた。

「どうだろう。ただ漠然とした寂しさがあるだけなんだ」

「これはさ、自然なことなんだと思うよ、多分」

「自然?」

「不可逆な時間の流れに沿って進みながら変化を繰り返す。いろんなものを得て、いろんなものを失う。それは自然なことなんだよ」

「僕は失ってばかりな気がする」

友人はくすくす笑う。「そんなことはないよ」

僕はその時、内浦の海を思い出した。どこまでも広く透き通った青。波が寄せては返し、刻々と移ろう。そう、海は一瞬として同じ姿はなく、あるのは変化だけだ。自然とはそういうことなのだろう。

 

 

時折、内浦の海が瞼の裏に浮かぶ。変化を続けることが自然だとしても僕はやっぱり寂しさを感じるのだと思う。これからも記憶に翻弄され、その度に寂しくなる。それを不毛と言われようがそうやって生きるしかないのだ。僕は目を閉じ、しばらく記憶の海に浸かった。