ニュンツ
- ニュンツ
パンツを買った。アマゾンで安いやつを。そもそもな話、パンツという代物は買い替え時がわからない。シャツやらなんやらはよれてくれば買い替える。パンツはよれてこようともそれが買い替える理由にはならない。外に見せるものでもない、破けない限り履き続けることが可能なのだ。ふと長らくパンツを買い替えていないことに気づき、なんとなしにニュンツ(New Pantsの意)購入へと意欲した。
お恥ずかしい話ではあるのだが、僕はいまだにズボンのことをパンツと言うことに抵抗がある。高校生の頃、友達と原宿のWegoに行った時、店員も友達もズボンのことをパンツと言っていて衝撃を受けたのをよく覚えている。じゃあ逆に彼らはパンツのことをなんて呼ぶのか気になった。東京で洋服を買うのがかっこいいことだと信じるヤングメンであった僕。Wegoなんて地元にもあるのに。
新しいパンツを履くという行為は想像していた以上に爽快であった。万年曇天の富山県に日差しが差すくらいの爽快さだ。長い間新しいパンツを買った記憶がなくこの感覚を全く忘れていたわけだが、こんなに新鮮な気持ちになれるならば定期的に買い替えるべきかもしれない。
ところでパンツのポートフォリオを組む際は何を意識すればよいか。これはニュンツを買う時に少し悩んだ。そもそものパンツの全体枚数から検討が始まり、ブリーフ、ボクサー、トランクスの構成を練らなければならない。僕のような大きなチンコの持ち主はやはりトランクスが向いているだろう。ブリーフやボクサーでは僕のガノンドルフを抑えるのはやや難しい。もし誰かが僕のパンツを履いたら股間の布が余って驚くかもしれないね(爆笑)。
ちなみにスキニーパンツ(ズボン)を履いている人間はもれなくチンコが小さい。菅田将暉はいつもダボついたパンツ(ズボン)を履いているからチンコがデカい。
僕は出社し、トイレに入り、そして絶望した。あの時の感覚はセントラルドグマ最深部にてノリで槍を抜いたら最愛の人の首が吹き飛んだ時に似ていた。そう、僕が新しく購入したパンツはチンコ出し穴がなかったのだ。一体何故?僕は激しく混乱した。余程高い物でない限り特に詳細を見ずに購入してしまうからうっかりチンコなし男用パンツを買ってしまったのかもしれない。
しかし、その時はそんな呑気に原因解明をしている場合ではなかった。チンコ出し穴がないならどうやって尿を放出すればいいのか。意志のあるところに方法が現れる、否、チンコ出し穴は塞がっている。トイレから自席に戻り、ハサミでチンコ出し穴を創造することもできた。だが、残念なことに膀胱は既に限界。尿意が激昂ラージャンくらい暴れていた。僕は目を閉じてゆっくりと温まる股間を感じた。
帰宅後、アマゾンの購入履歴を確認すると確かにチンコ出し穴なしパンツと記載があった。僕が単に見落としたミスであったが、そもそもチンコ出し穴なしパンツに需要などあるのだろうか。アマゾンでパンツと検索すると最初のページにはチンコ出し穴なしパンツが結構出てきた。僕の知らない間にこの世界ではチンコなし男が増えたのかもしれない。昨今少子化が叫ばれる中で由々しき事態である。やはり僕の出番か。
拝啓 朱夏の候 女性声優様 僕と子孫繁栄しましょう。
そして僕は新しくチンコ出し穴ありパンツ(ニュン2)を購入した。
- ショートストーリー
この前、久しぶりにSSを書いた。と言っても1000字にも満たない短さなのだけれど。ふと良いよしまる題材が思いついたから勢いで書いたのだ。
国木田花丸は動かしやすい。つい、感情移入してしまうからかもしれない。何故だか国木田花丸に対して同郷に似た想いを抱いてしまう。単に読書好きというところに惹かれているのか。よくわからない。ただ国木田花丸の見る景色はなんとなくわかるような気がするのだ。
読書とは実に優雅な体験である。思考の栄養。自己を形成する礎なのだ。ただ、国木田花丸も言っていたように読書だけでは得られないものがある。それは事実だし、自分の実体験としてもよくわかる。自分で足を動かしたからこそ見えるものが確かにある。
で、そういうのをミクロな物語として作ってみたくなった。些細なことなのだけれど、心が動く瞬間。
前置きはそんなところで。今回のSSは久々に良い文章書けたなーと実感があったのでここでもリンクを貼っておく。
以上。