ぽけてん

someone in the crowd

サマーコンプレックス

晒された 二の腕の上 日焼け跡

君と僕との 境界線かな

 

夏尾芭蕉

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは、僕は今、小学3年生の夏休みの宿題の続きをやっています。これは清算であり、聖戦であり、青春であります。あの日置いてきてしまったものを取り戻さなくてはならないのです。

 

夏。

 

これは僕の物語であり、君の物語です。

 

夏。

 

それは感情の季節。むせ上がる熱気、巨大な入道雲、蝉の合唱、濃い草の香り、それら全てが………

 

 

 

 

 

人はみな、理想の夏を胸に抱いている。虫取り網を持って田んぼの畦道を駆け抜けた夏、何処までも透明な河に飛び込んだ夏、真っ暗な海辺で花火に魅せられた夏、白いワンピースを着たあの子と海岸通りを歩いた夏、風鈴が揺れる畳の部屋でスイカを齧った夏、右手にサイダー左手はずっとあの子を探した夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏、夏・・・・・・

 

 

 

僕が僕である所以、その破滅的な決定打としてひとつ明確なことがある。僕は既に齢17にして《サマーコンプレックス》だったのだ。早い、あまりにも早すぎる。人生2周目と疑われても仕方がない。何故、こんなにも早く僕は罹患してしまったのだろう。ハルヒ、あの花、とらドラ、硝子細工のように繊細な僕の心はこれらの巨大な物語に粉砕された。こうして僕の人生は17歳の時に崩落、朱夏の時代へと突入したのだ。

 

振り返ると僕は常に焦っていたように思う。夏の正解をずっと探していた。僕は無力であり無知であった。けれど、《サマーコンプレックス》だった。

 

17歳の夏、思わず僕は柏から銚子まで自転車で走った。立派な自転車じゃない。しょぼいママチャリだ。90kmの道のりを7時間くらいずっとペダルをこぎ続けた。暑さが僕を動かしたのだ。クーラーの下、女性声優さんのラジオを聞き続けた日々を僕は否定しなければならなかった。峠をいくつか越えると潮の香りがした。それは夏の正解の予感だった。

 

海を見て、公園に野宿し、通報され、墓地に隠れた。もし警察に見つかったら停学になってしまうかもしれないとガタガタ震えた。

 

 

僕は夏を追いかけてここまでやってきた。色んな夏を通り過ぎ、多くのものを失ってきた。夏のイメージが明確になればなるほど、本当の夏を掴むのは難しくなる。この矛盾に一体どれだけの人間が気づいているのだろうか。

 

 

 

不思議なことがある。僕は地方都市生まれの地方都市育ちだ。駅前は雑居ビルが並び、少し歩けば住宅街が広がっている。残念ながらトトロのような田舎暮らしを経験したことがない。柏では田園風景を見ることはできない。にも関わらず僕は田舎町を見ると郷愁を感じるのだ。ここが僕の存在すべき場所だと。共通無意識?遺伝子に刻まれた記憶?いや、これが《サマーコンプレックス》の正体なのだ。あるべき幼少期、あるべき青春、全てそこに詰まっているのだ。僕の抱く夏はどうやったって田舎から始まる。だからこそ僕は存在しない夏を追い求める。

 

青春ゾンビとなってもなお、あの日置いてきたものを取り戻さなくてはならないのは、世界へのせめてもの抵抗である。これは僕の戦争なのだ。(あるいは君の戦争である)

 

 

 

さて、今年も夏がやってきてしまった。どうしようもなく絶望的だ。焼き尽くすような日差しは僕の焦燥感を煽る。

 

 

夏の正解を見つけられない限り夏は終わらない。つまり、夏は一生終わることがない。

 

 

 

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