前髪が異常にうねることが最近の悩みだった。うちはサスケの人生くらいうねるのだ。誇りも意思も信条もない恥ずかしいサスケくんの人生が僕の前髪に乗っているのだ。
いつだったか伊達さゆりさんがいつも以上に前髪を巻いてみました〜と自撮りをあげていたが、僕なんてアイロン使わずともあれくらい前髪がデフォルトで巻き巻きなのだ。巻き原敬之「もうストートパーマなんてしないなんて言わないよ絶対〜」やかましいわ。
しかし、ある日突然なんだかうねりが軽減された気がする。特段ケアを変えたわけでもないので理由が謎であったのだけれど、そういえば1ヶ月ほど前からビタミン剤を飲み始めたことを思い出した。
僕はそもそもビタミン剤という存在を嫌悪していた。あの人工的で都会的で構造的な存在はまさに現代社会の腐敗の象徴なのだ。僕はいつだって静謐な小川の流れる田舎町で白いワンピースの女の子と夏野菜をかじる世界を夢想している。田舎町の閑雅な空気しか考えられない。サプリメントなんて飲んでいる人間にトトロが見ることが出来るだろうか。いや、無理だ。圧倒的に不可能だ。
果たして前髪のうねりとビタミン剤に因果関係はあるのか。前髪のうねりは今に始まったことではないが、実家にいた頃は今ほど酷くはなかった。ともすれば一人暮らしによる栄養失調のために前髪が異常にうねりだしたという推察はあながち的外れではないのかもしれない。
ビタミンC最強説ここに爆誕。
今度トトロに会ったらビタミン剤をあげてみようと思う。きっと彼は目を輝かせながらそれを食べて自己矛盾で虚無になるのだろう。
ところで、みなすきぽぷりの「境界線」という作品を知っているだろうか。機構は世界三大作品をアーネスト・ヘミングウェイ「老人と海」、フョードル・ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」、みなすきぽぷり「境界線」と定めている。
境界線は女子高生と男子校生が出会い、そしてえっちする、純情ボーイミーツガールである。それはまるでタピオカミルクティーの上で踊るポートジャクソンのように刹那的な情緒なのだ。
こんなシーンがある。女は男と会う前に鏡で自分の姿を見ながらスカートの長さを調整する。短すぎかなぁと言いながら。寒風吹く河原、女と男は一緒に歩く。男は「足寒くねーの」と聞く。女は「あんまし見ないで、太いんだから」と返す。
ふん。
あのクシャルダオラですら「このシーン青春すぎ!」と発狂しとる。風圧で太刀は当たらんが青春は刺さるんよ。
そんなこんなで女と男は橋の下で性交いたす。その瞬間、女のモノローグが入る。
「昨日まではあたしも日常(うえ)にいたんだ」
やれやれ。