ぽけてん

someone in the crowd

素敵な空間

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

 

 

この前、会社の先輩が「趣味が出来た」と言っていた。普通、趣味くらい1つ2つは持っていると思うかもしれないが、その先輩は以前から自分には趣味がないと公言していたのだ。趣味がないから休日は買い物くらいしかすることがない、と。趣味の定義の話をするとややこしくなるが、僕からすれば趣味を持たない状況がどういうことなのか想像し難い。生きていれば何かしらに自然と興味を持つものだと思っていたけれど、そうでない人もいるということだ。先輩はBTSというKポップグループにはまったそうだ。僕も名前くらいは知っていたからそれなりに有名なグループなのだろう。メンバーの写真を見せてもらったけれどあまり顔の違いがわからなかった。顔の違いがわかる頃には既にファンになっているとのこと。先輩はグループを追うことが日々の幸せだと言っていた。僕も一時期熱心に追っかけ活動をしていたことがあったからその気持ちはよくわかった。

 

 

 

深夜、オフィスでひたすらに残業をしていると隣の部署から話し声が聞こえてくる。中国語だ。中国語は数字くらいしか知らないので、その話し声は雑音として僕の耳を通り過ぎる。空気清浄機の唸り声、紙のめくれる音、中国語。時計を見て、手元の仕様書を見て、天井を見た。多分、隣の部署の話の内容は仕事のことではないだろうと思った。世間話とかそういう類だ。中国語を知らなくてもそれくらいはわかるのだ。もしかしたらBTSのメンバーの魅力について話しているのかもしれない。勿論、僕は仕事が終わらないから残業しているわけだが、中国語が聞こえてくる頃は大抵集中力が切れている。そういう時は軽く散歩をするのか、何か全く別のことを考えたりする。全く別のこと、概念的な思考。

 

 

 

僕は時々“好き”に理由はいるのか?と自問する。「直感で好きになった」「理屈抜きで好き」といった発言をよく聞く。それは本心からの言葉なのだろう。けれど、個人的な意見を言わせてもらえば、何かを好きになるのも嫌いになるのも必ず理由は存在すると思う。だって理由がなかったらそれは好き嫌い以前にただの気まぐれにすぎないのだ。気まぐれで何かに気持ちが傾くことと何かを好きになることは別の話である。一方、好き嫌いは感情の話であって必ずしも理屈が当てはまる代物ではない、と思ったりもする。なんにせよ、きっちりしていないと落ち着かないのは僕の悲しき病である。

 

 

 

記憶に残っている、あの日。というほど大げさではないのだが、なんとなく覚えていることがある。その日、僕は静岡県の海辺の街に来ていた。

 

よく晴れた冬の日で空気がつんと澄んでいた。色あせたポストがなんだかノスタルジーを漂わせている。数分船に揺られると小さな島に辿り着く。時間がゆっくりと流れる長閑な島。桟橋からすぐのところに小さな水族館がある。小さな島の小さな水族館だ。

 

思い返してみると僕は今まであまり水族館に行ったことがないような気がする。小学生の時に数回行っただけかもしれない。当たり前だけれど、水族館とは魚を鑑賞するだけの施設としか思っていなかった。

 

その水族館は僕の知っている水族館とは少し違った。手書きのポスターや解説、手作りの案内や装飾、等々、多くの趣向が凝らされていた。人の手が介在し、誰でも楽しめるような工夫が施され、親しみやすい空間を作り上げていた。魚をただ鑑賞する以上の楽しさがあった。そして何より“好き”がそこにはあった。従業員の魚に対する想い、水族館に対する想い、そういった想いが溢れていた。それが何より素敵だと感じた。小さな水族館だ。けれど、どんな水族館にも引けを取らない魅力があった。

 

何かを成し遂げた人間は大抵同じようなことを口にする。それは多分真理だからだ。イチローは、早いうちに自分が好きになれるものを見つけるべきだと言った。ジョブズは、早いうちに好きなものを見つけることが出来て自分は幸福だったと言った。

 

自分の“好き”が本物であれば何かしらの形が残る。それをあの水族館で実感した。モノが飽和するこの時代、特定の何かを好きになること自体少なくなったように思う。気まぐれで気持ちがあっちに傾いたりこっちに傾いたりするだけ。ある意味それがスタンダードの世界になった。だからこそ、自分の好きになったものを大事にできればいいと思う。

 

 

 

“好き”に理由はいるのか?多分、本当に好きであれば理由なんて勝手についてくるのだろう。理由の有無なんて実は野暮な話だったようにも思う。だって、水族館はあの素敵な空間を作り上げる際に理由なんて考えたりしなかっただろうから。

 

30前半の独身女性がKポップグループにはまってしまうことの是非は置いといて、何かを好きになることは人生を豊かにする、それは間違いないはずだ。

 

僕はまた変わらぬ残業の日々を送る。時折、小さな島の小さな水族館のことを考えながら。