ぽけてん

someone in the crowd

This is IDOL-虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 3rd Live! School Idol Festival-

アイドルとはなにか?という命題に対して僕は極めて無力である。答えを探そうとすると深い森に迷い込んだような気分になる。多角的迷宮。それでも僕はアイドルのことを考え、深い森でため息をつく。何故アイドルはこれほどまで僕を狂わせるのか。たとえ目を閉じても輝く姿はずっとそこにある。

エンターテイメントとは道化である。人を楽しませるためには虚構が必要だ。作られたビジュアル、作られたキャラクター、作られたシチュエーション。受け取る側もそれを承知の上で楽しむ。勿論、アイドルも同様だ。ステージの上で虚構を作る。僕は娯楽としてそれを消費する。それがエンターテイメントだ。

一般論とは所詮一般論でしかない。案外簡単にひっくり返ってしまう。そいういう意味で、良くも悪くもアイドルは流動的だ。結局のところ僕はそれを好んで受け取っているわけだけれど、同時に葛藤を抱えることになる。まさに愚か者だ。

哀しいことに僕は再び虹ヶ咲について語ろうと思う。それは"虹ヶ咲最古参"としての責任なのかもしれない。




人間は多くの場面で相反する感情を同時に持つことがある。それは決して矛盾ではなく、自然なことなのだ。虹ヶ咲のライブを観ると、いつも僕は複雑怪奇な感情を持て余していた。大抵の物事が言葉にした途端に真実から遠のくように、あの感情を言葉にすることは難しい。

かつて虹ヶ咲のライブはエンターテイメントではなかった。定義の話だ。それをエンターテイメントと捉えてしまった場合、僕の中の何かが壊れてしまうような気がした。

キャストの彼女達はライブ後のMCで必ず「悔しい」と口にしていた。「もっと良いパフォーマンスを求めたい」と。正直、彼女達の本心を求めていたことは否定しない。しかし、アイドルとしての在り方を考えた時、それは大きく逸脱する。

自分の掲げる理想に向けて努力する。尊いことだ。夢を見る瞬間こそ人間は最も強く光る。ただ、その理想に対しての苦悩を見せてしまった瞬間、それはエンターテイメントではなくなってしまう。ならば何になるのだろう?道化ではないアイドルに一体どういう意義があるのだろう?

ある時期、向上心とは社会に迎合する恥ずべき思想だと僕は思っていた。自身を腐らせる行為だと蔑視していた。それは全て間違いだと気づいたのは随分後の話だ。不思議な話だが彼女達が「悔しい」と口にするのを見ていると、誰かが僕の扉を激しく叩いてくる様な気がするのだ。早くそこから出るんだ、と扉の向こうから呼ぶが聞こえてくる。




先日、僕はライブに参戦した。


ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 3rd Live! School Idol Festival ~夢の始まり~


笑顔がとても輝いていた。

彼女達は最初から最後まで笑顔であった。アイドルとしては当たり前なことなのだが、虹ヶ咲としては異例の事態であった。お台場のTOKIMEKI Runnersリリースイベントから始まり、校内マッチングフェスティバル、1stライブ、2ndライブと様々なライブがあった。その時々で彼女達は「悔しい」と心境を吐露し、苦悩を見せた。それは理想が高いからだ。向上心があるからだ。


エンターテイメントなのかはさておき、そういう彼女達の純真な姿に惹かれたのも確かである。

2ndライブの時、相良茉優は「かすみに申し訳ない」と言った。確かにパフォーマンスに落ち度があったとも言えるが、自責の念を感じるほどであるのだろうかとも思った。本当に見ていて痛々しいくらいだった。

今回リベンジの如く現れた相良茉優は素晴らしいステージを見せた。積み重ねてきたものが見事に花開いた瞬間だったと思う。圧倒的中須かすみ、絶対的にアイドル。

彼女達がずっと笑顔だったのはステージのクオリティによる裏打ちがあったからだ。最初のライブからずっと見てきた僕からすると本当に長い道のりであった。努力を経て彼女達は到達点へと上りつめた。そしてそれは同時に経過点でしかないのだ。ドームでのライブが経過点でしかないというのは少し恐ろしくもあるが、これは事実なのだ。



3rdライブはとにかく楽しかった(楽しくないライブなどないのだが)。普段は別の場所に住み別のことを考えている有象無象が、ひとつの場所に集まり、ひとつの時間を共有し、虹ヶ咲スクールアイドル同好会に熱狂する。あの瞬間、確かに僕達は一体であった。そんな奇跡のような空間を彼女達は歌とダンスで作り上げたのだ。



さて改めて問う、アイドルとはなにか?

本来、アイドルとは偶像性であった。しかし今は必ずともそう言えない。共に動き、共に進む、並走するような存在。あるいは、伴奏者としての役割であるようにも感じる。虹ヶ咲(ラブライブシリーズ)はそういった、アイドルの新しい世界を見せてきた。結局、定義などできることでもないのだ。心に希望が生まれていたらそれはアイドル、そんなところでどうだろうか?












奇妙なことにライブ後、退廃した僕の精神に風が吹いていた。それはとても心地の良い風で、なんだか足を踏み出してみたくなる気分にさせた。