ぽけてん

オタクシグナル

UOを折ってみた

昔付き合っていた彼女の家にはレコードプレーヤーがあって、僕らはよくthe beach boysを聴きながら発泡酒をちびちびと飲んだ。

 

彼女は神保町でレコード盤を探す以外はずっと家で音楽を聴いていた。彼女の家の前に立つときまって一昔前の洋楽が聞こえてくる。僕はどうやって彼女と出会ったのか全く覚えていない。ぼんやり思い出すのはthe beach boysのメロディと時々彼女がつけていた折鶴のイアリングだけだ。

 

「何故そんなに音楽が好き?」一度質問したことがあった。「自分が何も持っていないから」そう彼女は答えた。

 

 

 

1年前、僕は手当たり次第に飲酒をしていた。それは多分、退屈を紛らわすためだったように思うけど、なんにせよ不毛な時間であった。意義を考えだすと難しいし、疲れる。濃縮し、火を散らし、すぐに死ぬ。幸せの像は明確にあれど僕はそこに辿り着くことはできない。

 

 

 

 

 

僕は何人かの女性と寝たことで同時にコミュニケーション能力を得たと思っていた。しかし、全くそんなことはなく、コミュニケーションの姿すら捉えきれていなかった。尤も話したいことなど特になかったし、無言で発泡酒を身体に流し込むのが僕の存在証明だった。

 

「なんでいつもそんなつまらなそうな顔をしているの?」ベットの上でこんなことを言われたことがあった。「さあ?」他人からそう見えることが意外だったが、実際、僕は慢性的な退屈を心に抱えていた。「人生楽しまなきゃ勿体なくない?」その通りである。

 

 

 

コミュニケーション能力とは何も初対面の相手と上手く話せることだけが物差しとはならない。そう気づいたのは随分と時間が経ってからだけど、僕はコミュニケーション能力についてずっと勘違いし続けていた。

 

喋る総量が多いほどコミュニケーション能力は優れている。それは半分正解だし、半分間違っている。コミュニケーションとはお互いの心に橋をかける作業だ。

 

どれだけ僕がコツメカワウソへの愛を語ったって、そこに橋がなければ僕のコツメカワウソへの愛を誰も知ることはできない。

 

 

 

 

僕は昔からの付き合いを持っていない。環境が変わるごとに関わる人は一新し、過去の関係は全てなくなる。意図的にそうしているわけではなく、気づいたら関係が消えているのだ。人生とはそういうものだと思っていた。ページをめくってしまえば、もう元には戻れない。そもそも僕には友人というものがいなかったのかもしれない。ページをめくり返してもそこには白紙があるだけだ。

 

 

 

 

僕と付き合った女性は一概に3ヶ月経つ前に僕の元から去っていった。みな一様に「君は自分だけで世界が完結している」といった旨の台詞を残していった。自分だけの世界とはなんなのだろう。

 

 

つまり、コミュニケーションとは長く人と付き合う能力も含まれる。

 

 

 

 

 

玄関に鬱が鎮座していた。だから僕は口を開くのを辞めた。

 

 

 

 

 

 

「俺はいつだってプレイヤーでありたい。誰かのサポートをするなんて御免だね。」

これは僕の所属している文芸サークルの先輩であるヒロシさんが言った台詞だ。全面的に同意だ。しかし、プレイヤーであり続けることは言葉で言うほど容易くはない。覚悟、それさえあればいつだってどこだってプレイヤーであり続けられる。覚悟は菓子パンに似ている。腹持ちが悪い。昔掲げた己の覚悟をふと思い出して冷や汗を流す。

 

ヒロシさんはいつだって髪を金色に染め上げ、年中TOMMY FILFIGERのスエットを履いていた。ヒロシさんは酔うとよく見知らぬ人間と喧嘩をしていた。「甘えるな足掻け」上擦った声でヒロシさんが叫ぶ。

 

理想はあれど現実が追いつかないそのもどかしさに苦しみながら僕は相変わらず発泡酒を飲む。

 

 

 

 

大学の近くに個人経営の小さな古本屋がある。店主はくすんだ緑のエプロンをつけ、いつだってヘミングウェイを読んでいる。その一角には大学の教科書が山積みになっている。先代方がここに教科書を投げ捨てていったのだ。新参はここに訪れ、教科書を手に取り、卒業する頃にまたここに投げ捨てる。そういうサイクルが出来上がっている。

 

7月、うだるような暑さの中、僕はgot only knowsを鼻歌で歌いながら歩いていた。僕は暑いのが嫌いだ。寒いのも嫌いだ。夏も冬も嫌いだしいつだって今が一番辛い。今以外であればいつだって幸福である。

 

古本屋に入るとエアコンの埃っぽい臭いが鼻をついた。ふと見ると"コツメカワウソの生態"というタイトルの本を立ち読みしている金髪の男がいた。ヒロシさんだった。

 

 

 

ヒロシさんの家には様々な種類のウイスキーが展覧会のごとく並べてあった。僕らはそれらを順番に飲み、大いに酔っ払った。

 

ヒロシさんは唐突にブルーレイディスクを取り出した。そこには"μ's final lovelive!"と書かれていた。「なにそれ」「μ'sのライブ映像だよ」「μ's?」

 

聞いたことある名前だった。確か文化構想学の講義だったか。僕が生まれる少し前くらいに活動していたアイドルグループだったはずだ。

 

ガサゴソと機材を動かし再生ボタンを押す。

 

静謐、そして音楽が溢れる。

 

 

流れる煌めきが時間の隙間を縫う。

 

 

非常に印象的な場面があった。切なげなイントロが流れた後、ホワイトアルバムのように会場が白一色に染まる。そして曲は進み、オチサビに入る瞬間、世界は眩いオレンジ色へと変わった。それはまるで季節が早送りで移り変わるような雄大な光景であった。

 

息をするのも忘れてその映像に惹かれた。身体が熱いのはアルコールのせいだけではないだろう。

 

「折ってみるか?」

 

そう言うとヒロシさんは押し入れの中を探し始めた。

 

"UO"と書かれたビニールの包装を破ると、"無機質な棒"が出てきた。

 

「これはただのUOじゃない。折った人間の心の光量を反映する仕様なんだ。」にやりとヒロシさんが笑う。

 

画面では再びあの切なげなイントロが流れている。

 

流れる時間が濃密に、そして加速する。

 

全ての感情が奔流となり過去と未来が交差する。

 

手が震えている。

 

UOを折ってみた。

 

 

 

それは

 

 

 

 

 

とても

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明るかった。