ぽけてん

someone in the crowd

Transit 9 hours

 

大きな窓からは現実感の欠けた空が見えた。染料が掠れたような空と引き伸ばされた雲。淡い陽光は弛緩した時間を照らした。

待合スペースには僕とグレーの制服を着た清掃員の男が一人いるだけだった。清掃員の男は大きなモップを規則的に動かし、右へ左へ移動した。待合スペースに並べられた空席のソファーは冬を待ち構える羊を思わせた。色味のない景色。あたりを見回したが近くに時計はなかった。日の差し方を見るに午前6時くらいだろうか。

ソファーからは何故か懐かしい匂いがした。僕がよく行った渋谷のクラブの匂い、厳密にはその黒人のガードマンの匂いだ。渋谷が随分と遠い記憶に思えた。

僕は横になって目を閉じたが、眠気はやってこなかった。こんな時、僕は決まってまさみのことを考えた。

 

 

まさみは中古のアルトをよく乗り回していた。僕も何度か乗せてもらったことがある。
ある日その紺色の車体のボンネットに白いペンキで"I thought what I'd do was, I'd pretend I was one of those deaf-mutes"と書かれていた。酔った勢いで書いたらしい。
「今時サリンジャーなんて流行らないよ」と僕が言うと「アニメくん、流行るとか流行らないとかじゃなくて、そこに情景があるかどうかなんだよ」
僕はその言葉を咀嚼して嚥下した。
「よくわからないな」僕は言った。

まさみは僕のことをアニメくんと呼んだ。曰く、僕の顔がアニメに似ているかららしい。始めの頃はそれに抗議をしたが、次第に慣れていった。僕は基本的にまさみには勝てなかった。

一般論として、大衆文学が娯楽性や物語性を重視するのに対し、純文学は芸術性を重視する。そもそも芸術性とは何か、という根本的で厄介で深淵な問題は置いておくとして、この考え方は大抵のものにも当てはめるとこができる。
「例えば漫画や映画にだって大衆文学なのか純文学なのかと切り分けがあってもよいと思うんだ」
夜の隅田川は対岸のビルの灯りをぼんやりと反射している。まさみはその川面を眺めていた。
魔法少女のアニメにあるメタモルフォーゼは純文学?」
僕は唸った。「そうかもしれない」
構成力や論理性、起承転結だけが何も評価基準になるわけではない。ただ、その観点に立ち返ることは非常に難しい。酷く曖昧なものを考えることになるのだから。芸術性なんて結局当人のマスターベーションでしかない。だとしても、純文学とは思想の開放なのだと僕は思う。
まさみは僕を見た。「アニメくんの思う芸術性ってなんなの」
「夏の夜に風が吹けばそれは純文学さ」

 

 

目を開けると待合スペースは賑わっていた。どうやら眠っていたらしい。バックパックからペットボトルを取り出して水を飲んだ。清掃員の男はもうおらず、観光客が忙しなく動き回っていた。僕が眠っている間に幾つもの季節が過ぎ去ったような感覚があった。
僕は売店スニッカーズを買った。スピーカーからは国際線の案内が流れている。僕は次のフライトの搭乗口にのそのそと向かった。窓の外には相変わらず現実感の欠けた空があった。