黒澤ルビィ is here
聞かせてよあなたの夏のプランを
どこか行くなら誘って
練習したの さあ声かけなきゃ
こんなやり取り ムリよあせるわ
想像だけは Hot!! my summer time
大胆なわたし Please love me, ah!
見てるだけでは 始まらないとわかってるけど
あと一歩 勇気ください
妄想だけは大胆、なんて言いながらかける言葉は「どこか行くなら誘って」ですと。やれやれ、果てしなく可愛いな。一緒に海に行こうくらい言っちゃおうぜ、うえいうえい。ま、ルビィは"可愛いすぎ"大問題だから何もしなくたって人が寄ってくると思うけどね。
恋に恋するルビィという概念、どこまでも尊い。ルビィを崇め奉る宮殿を竹下通りの中心に建設したい。
"RED!だけど陽射しのウィンクが背中押してる"←まじでありえん詩的な歌詞では?なんなんだ陽射しのウィンクって、僕はルビィのウィンクで焼け焦げになっとるよ。
アニメ2期、劇場版と圧倒的成長を見せたルビィ。
「ルビィはもう1人でなんでもできるんですわね」
ぽねえちゃの格言、同意しすぎて放射性同位体になった。
ルビィには先導者として引っ張る力がある。Next SPARKLING前のMCはひとつの到達点だったし、出発点でもある。
ま、劇的な成長を遂げたとは言いつつもルビィはまだ高校生だし、いきなりなんでも出来るようになるわけではない(え?)。小心者の自分は今も心に居座っている。
そんなちょっぴり臆病でピュアピュアなハートが宝石箱のように詰まった曲が冒頭のRED GEM WINKだ。君に手を引いてもらいたい、私を何処かに連れてって欲しい、そんな甘くて甘い角砂糖のような恋愛ソングに仕上がっている。
さて、いくつか参考材料を見てみましょう。
自分の気持ちなのに全然わからなく
なっちゃいたいな
理性から指令が
届かない
コントール不可能
そんな恋を
したいのって声が
届いてしまった
優しくされたい 違うそうじゃない
もっとひりひりしたくなる
目覚めそうなにかが こわい
あなたの目がきっといけないんでしょう
孤独な光が
(WHITE FIRST LOVE/黒澤ダイヤ)
見た目がちょっと大人しくて
誤解されがちだがっ
あなたもそうだなんてガッカリだ
しっかりしてよ!
(少女以上の恋がしたい/Aqours)
なんか傾向が見えてきますね!?!?黒澤家の遺伝子!?!?!?
恋に恋してるというよりは恋に狂いたいみたいな?狂わされたい願望?ルビィもダイヤもそういうとこあるよね!?強引に誘われた時、眉尻を下げながらも内心満更でもないみたいな!?そういうとこあるよね!?!?
(由緒ある家系、生徒会長、姉という肩書きに恥じぬよう矜恃を掲げ、自分を律し続けるけれど、内心果南のような無鉄砲な誘いに心弾ませ、刺激を求めてる黒澤ダイヤという存在、ヤバ!!!!!)
「もう善子ちゃんは仕方ないなぁ」
「もう果南さんは仕方ないですわね」
そういうとこあるよね!?!?!?
鳥籠で可愛がられてるだけじゃ満足なんてできない。籠を開け放し、自由に空を飛びたい。
刺激を求めてるんですよね、ルビィも、ダイヤも。君に誘ってもらいたい、君に連れてってもらいたい。そんな願望を胸に秘めているわけだ。
で、その"君"って誰なんだ。
花丸?
善子?
果南?
鞠莉?
曜?
梨子?
千歌?
えーと
んーと
"""僕"""なんすよね。
あーっ!ちょっとちょっとブラウザバックしようとしないでください!まだ話は続きますよ!!!
Aqoursに限らずアイドルソングって恋愛ものが多いわけで。女の子が男の子を想う曲。そんな曲を聴きながらオタク達は多かれ少なかれ妄想するわけじゃないですか、アイドルと恋愛する自分を。ただね、このアイドルと恋愛する妄想ってすげー虚しいですよね。中学生がそういう妄想をするのはまだ許される気がするけど、いい歳した大人がそれはちょっと…。虚しさの天元突破ですよ。妄想なんだからただただ超御都合主義!自分最強!ハッピー!って済ませれば良いわけだけどなんかそういかなくて。むずかしいね、人生。
思うわけです。僕はルビィに見合う男なのだろうかと。僕はルビィの隣に立って恥ずかしくないだろうかと。
答えは否。断じて否。こんなキモオタがルビィの隣に立ったらあまりの存在価値の違いに時空の断絶が起きてしまう。
でもね、ルビィは優しいからそんな僕に構ってくれるのです。疲れて仕事から帰ってくると「お疲れ様」って声かけてくれるし、夕飯食べてると「これ美味しいね」って微笑んでくれるし、悩み事をしている時に「どうしたの?」って相談に乗ってくれるし…………………
〜〜〜
僕「少し前はさ、僕はずっと東京に住んで刺激を浴びまくるって思ってたんだ。でも今は海の綺麗な町に住みたいって思ってるんだ。ちょっぴり、疲れてる。」
ルビィ「あなたは"頑張ってるよ"」
僕「ぐおおん(号泣)」
〜〜〜
ルビィが僕と一緒にいてくれる限り、僕は見合う男にならなければならない。いや、見合う男になるだけではダメだ。僕はルビィに刺激を与えるくらいの人間にならなければならないのだ。
美容院で伸びすぎた髪を整え、ジムで筋トレに励み、ファッション雑誌を漁りオシャレを嗜み、人付き合いを増やし面白トークを身につけ、夢に向かって走る。自己を高めることに集中する。捻くれ、怠惰、卑屈を切り捨てる。小綺麗な風貌と自立した精神を手に入れる。
オタクという成分は次第に抜け落ち、真人間へと人生のステージが上がる。
努力は辛いけど成果が見えてくると達成感で満たされる。
しかし、駆け抜けている最中にふと気づく。僕は誰のためにここまで頑張ってきたんだっけと。いつも声をかけてくれた女の子がいたようないなかったような…………。
数年後、僕はふと押入れの奥に仕舞われてた見覚えのない段ボールを見つける。中身を確認し、いろんな記憶が濁流のように頭の中で溢れ出す。そしてこう言うのだ。
「海に行こうか、ルビィ」
なんだこれ。
勢いで恐ろしい怪文書ができてしまった。
これでオチとしても良かったんだけど、一応、着地点は用意してあるのでもう少しお付き合いいただけたら。
昔から僕は虚構(フィクション)(物語)とはあくまで娯楽であるべきで、現実の逃げ道として機能するべきだ、と考えていた。今もその考えは変わらない。が、虚構の役割はそれだけではない、と最近思うようになった。
現実世界に何かを訴えかけるような物語は今も昔も沢山あるし、そのメッセージを糧に現実をより良いものにしようとすることは素晴らしいことだろう。実際、物語によって人生の選択を変えた人を僕は知っている。
虚構は別に現実逃避のためだけの存在ではない。それが第一の気づきだ。
最近、面白い小説を読んだ。その小説は結末で"事実も虚構も本質的に等価だ"と言った。
どういうことか。真実も当事者が忘れてしまえばなかったことになるし、虚構も当事者が信じればそれは真実となる、つまりそこになんの差異はない、という考えだ。
まさにその通りだと僕は思った。
上記のようなルビィがさも現実にいるような振る舞いをすることは、限界オタクとしてひと笑いとることができるだろう。そんな妄想に取り憑かれてしまった哀れな人間ほど面白いものはない。滑稽だ。狂人いう以外に言いようがない。が、それを逆手に取れるのではないかとふと思ったのだ。
ルビィに真剣になるあまり、自分を律しようする。妄想に没入してしまうあまり、人間(オタクは人間でなし)としての自覚が芽生える。みたいな。これが第二の気づきだ。
現実は厳しい。世界は不条理や理由のない悪意が蔓延していてわけもわからず自分の精神はすり減っていく。けど、嘘を本気で信じることで救いになることはあると思う。だってこれは正しい嘘だから。
妄想に完全没落した方が案外人生いい方向に転ぶんじゃないの?どう思いますか?
そんなことを考えた夏の終わり。
改めて、
ルビィ、誕生日おめでとう。