ぽけてん

someone in the crowd

「続・終物語」 感想

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キラキラ光ってる

気がした思い出

そばにあって触れられない

鏡の国みたい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人は動いている時ならばあまり迷ったり悩んだりすることはない。人は立ち止まった時、迷ったり悩んだりする。あるいは逆かもしれない。二者択一を精査したり、最善策を熟考したり、ありえたかも知れない選択肢に想いを寄せたり、と迷い悩むために人は立ち止まるのかもしれない。

 

 

 

物語の冒頭、阿良々木暦はこのような旨の台詞を発する。

 

「これはおまけの物語。しかし、おまけといって侮ってはいけない。人は勝利より敗北から多くを学ぶように、おまけからも多くを学ぶことがあるだろう。」

 

終物語を端的に表した台詞だ。物語シリーズ終物語で綺麗に締めくくられた。まぁ原作はまだまだ続いているけど、アニメだけを追っていた私からすると一区切りついた気分だった。だからこそ「続終物語」という表題でどんな物語を展開するのかはなかなか想像に難く、やや不安を持って私は劇場に足を運んだ。

 

あえて言おう、続終物語は蛇足である。しかし、数年、物語シリーズを追ってきた人間ならば確実にぶっ刺さる物語だ。辿った物語を振り返り、それぞれの登場人物に焦点を当てる。これまでの物語の総括をしつつ、視点は過去から未来へと向けられる。阿良々木暦は新たな一歩を踏み出して物語は締めくくられる。

これはおまけの物語。阿良々木暦の停滞の物語。しかし、だからこそ、思うところが多くあった。

 

 

 

物語シリーズは純粋に人を楽しませる作品だと思ってる。含蓄のある台詞が随所に散りばめられ学ぶことも多くあると思うが、必要以上のメッセージ性はなく、あくまでエンターテイメントを確立している。その点で続終物語はやや異質である。何故なら明確なメッセージ性を持っているからだ。最後の横断歩道のシーン。あれは画面の向こう側だけで進行する話ではなく、こちら側にメッセージを投げかけるつくりになっていた。今までこのような構成をとることはしていなかったと思う。西尾維新及び製作者からの投げかけ。おまけだからこそ出来たことなのかもしれない。おまけだからこそ試みた構成なのかもしれない。

 

 

 

鏡とは現実世界をそのまま映すわけではない。鏡に映る世界は光の反射率の関係で現実世界の約80%程度だそうだ。なので鏡に映る世界は現実世界と比べるとぼやけているのだ。輪郭が曖昧になっている。約20%が削られている分。

 

物語の後半、事の真相が明らかとなる。阿良々木暦は鏡の世界に入ってしまったのではない。阿良々木暦は削られるはずだった約20%を現実世界に引き込んでしまったのだ(この辺りの解釈は正しいか自信ない。映画見返すか、原作買うかして加筆修正するかも)。よって世界は辻褄の合わない、へんてこな世界に変わってしまった。何故そんなことが起こってしまったといえば阿良々木暦"心残り"があったからという。具体的に何が"心残り"かまでは語られない。可能性を示唆して、含みを持たせて、この辺りは曖昧に表現されている。

 

阿良々木暦は激動の高校生活を終えた。様々な物語を経て、卒業式を迎えた。阿良々木暦は大学の合否発表が出るまで身分不明の状態で日々を過ごすことになる。曖昧でぼんやりとした時間。走り続けていた阿良々木暦は一旦立ち止まることになった。なので阿良々木暦は今までをふと振り返った。自分の至らなかった点、ありえたかもしれない選択肢、そういったことを考え、副産物として生まれたのが"心残り"だ。

 

 

 

人生において考えても仕方のないことって多々ある。自分の干渉できない事象、選ばなかったもう一方の選択肢、昔の自分の不始末、ありえたかもしれない未来。しかし、人は愚かだから往々にしてそういう考えても仕方のないことを考えてしまう。赤信号の横断歩道、阿良々木暦は言う、「右足から踏み出すか左足から踏み出すか、迷う時がある」と。それに対し、戦場ヶ原ひたぎは高らかに笑った。

 

考えても仕方のないあれこれについて悩むことに意味はない。悩むなと言っているわけではない。時々、立ち止まり、悩み、痛みを感じることしても良いだろう。けれど、人は人である限り、立ち止まったままではいられない。悩んでいるままではいられない。物語を進めなくてはならない。足を踏み出さなくてはならない。だって人は基本的に走り続けているものだ。

 

これが横断歩道のシーンで私が感じたメッセージである。わかりやすく普遍的なメッセージだと思う。ただ説得力があった。阿良々木暦の今までを知っているからこそ、このメッセージには説得力があった。エンドロールが流れ、劇場が明るくなり、ざわつきが起こり始めた頃、私の心は少し軽くなった。らしくもなく私は前向きな気持ちになった。物語シリーズを通してこんな気分になるのが不思議であり面白いなと思ったのだ。

 

 

 

 

離れ離れ見上げた空は

青く、青く、澄みきっていく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さてまぁ感想は以上なのですが、1点ほど不必要な語りをしようかなと。

 

 

 

邪推。めっちゃ邪推。鏡の中の世界ではなく削られるはずの20%を引き込んだ世界に戦場ヶ原ひたぎは現れなかった。それは戦場ヶ原ひたぎに関しては阿良々木暦"心残り"がないからだと言った。しかし、こうは考えられないだろうか。削られるはずの20%を引きこんだ世界とは"裏側"が表出した世界。阿良々木暦"心残り"、パートナーとして選んだのが戦場ヶ原ひたぎで良かったのかという深層的な問い。それが表出したのではないだろうか。つまり戦場ヶ原ひたぎがいない世界で自分のパートナーを改めて考えてみるみたいな。以前から私は阿良々木暦がパートナーに戦場ヶ原ひたぎを選んだことに不満を持っていました。いやだって(略)。まぁ邪推ですね。