ぽけてん

オタクシグナル

本当の意味での正しさ-黒江真由-

響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、決意の最終楽章


久美子は3年生になり部長として今までとは違った種類の諸問題と対面することになった。部を運営するにあって起こる軋轢や衝突。それらと戦いながら久美子は前へ前へ進む。

 

北宇治は実力主義だ。学年関係なく能力ある者がコンクールへの出場権を得て、結果を目指す。それが平等であり、結果を出す1番の正攻法。久美子や麗奈をはじめとした全員がこの考え方に同意のもと部活に取り組んできた。

久美子が1年生の頃、トランペットのソロパートを巡って対立が起きた。部のために今までずっと尽力した香織が出るべきだと主張する優子と実力のみを比較して上手い方が出るべきだと主張する麗奈。結果的に麗奈の主張が通った。

ここで大事なのは決して優子の主張が間違っていたというわけではない。

意見が対立した場合、対処法は色々あるだろうが、折衷案を考えるか、どちらかが納得できるほどの材料を提示するか、というのが一般的な対応だろう。

香織と麗奈の件は圧倒的な実力差があった。その実力差は主張を通すだけの材料であり、納得する線引きを明確にした。結果、麗奈の主張が通った。ただそれだけのこと。

この件をもって北宇治には実力主義が定着した。

 


実力主義とはわかりやすく、公平な手段であると思う。実力主義に則り、高め合い、競い合い、目標へと向かう。誠実だ。問題はどこにもない。

ここで改めて問う。

本当にその考えは正しいのか、と。

 

 

 


黒江真由はコンクールにこだわりがない。


「みんなと一緒の時間を過ごすのが好きなんだ。思い出作り。それが、私の吹奏楽部にいる理由。だから私が辞退することで部の雰囲気が丸くなるなら、そっちの方がいいなって思うの」


真由にとっての第一優先は楽しい時間を過ごすこと。コンクールの結果は副産物にすぎない。楽しい時間を過ごす手段として部活がある。

黒江真由には実力がある。奏や緑が証言するようにそれは久美子と同等レベルだ。しかし、コンクールにこだわりがない。だからこそ、真由はオーディションを何度も辞退しようとする。

今まで北宇治にいたどのキャラクターとも違ったタイプ。久美子はそれを異質と感じた。

楽しむことを重視するという意味では緑と近い。ただ、緑は態度を演出するのに対し、真由はずっと自然体だ。良くも悪くも取り繕わないのが真由。


今回の問題は真由が関西大会でユーフォニアムのソリに選ばれたことが発端だ。今まで部長として尽力してきた久美子にソリをやって欲しいと声を上げる部員が続出する。実力が拮抗している2人であえて真由を選んだ滝に対する不信感。顧問へ不信感を抱く部員に苛立ちを見せる麗奈。じわりじわりと生まれる部内の不和。

あすかが言うようにシンプルな解決方法は真由がオーディションを辞退することだ。それで円満。

しかし、それでは久美子が納得できない。真由にもオーディションは出て欲しい。エゴと言われればそれまでだけれど。

だとしても、健全に競い合う、それが北宇治のあり方だと久美子は信じている。


「私は、綺麗ごとかもしれないけど、卒業するときにみんなが北宇治でよかったなって思えるような部活であってほしいんです。・・・なんのためにコンクールをやるのかなって考えてたら結果だけに固執するのも少し変に思えてきたというか。いや、もちろん金賞を取りたいって気持ちはあるんですけど、みんなが納得した状態で本番に挑みたいって、そう思うんです」


久美子自身にも自覚はあるが、久美子の考え方は変わってきた。結果だけが全てではない。大事なのは自分が納得できるかどうかだ、と久美子は気づく。

 

 

一旦整理しよう。

実力主義は正しいのか、という問い。勿論、これはシンプルなYES/NO問題ではない。

本来、合理的で公平な実力主義。しかし、真由というイレギュラーがそれを揺らがせた。

単純な力量というものさしだけで選択することが正解とは限らない。何故なら人間には感情があるからだ。実力主義のもとであっても、努力が報われて欲しいと思うことも、空気を丸くしたいと思うことも、決しておかしいことではない。

感情を酌量すれば実力主義が瓦解する。

けれど、感情を考慮せず、実力だけで比較しコンクールのメンバーを決めた時、それで本当に最良の力が発揮出来るのか。理性では納得できても感情が納得しないこともある。

最終的に滝がどういう理由で久美子をソリに選んだのかは文面だけでは判断のしようがない。シンプルに個人の実力を比較してか。精神的な面(久美子にソリを求める人間が多い)を考慮してか。実際、決意の最終楽章を読んで真由は久美子より実力は優っていたと捉える人もいるだろう(妄想の域にすぎないが)。実力にせよそうでないにせよ久美子がソリになることが収まりがいいことに違いなかった。

そんな実力主義の是非。それが黒江真由がもたらした問題提議、

だと思ってました。

 

さて、ここからが本題(え?)

 

つらつらと文章を書きながら思ったんですけどね、決意の最終楽章の面白いところってその先だなと。真由が揺らがせた実力主義の是非から見えてくる人間のあり方、みたいな。(てか、実力主義の是非って久美子が2年生の時もやってるし)

 

「滝先生にとっての理想って、どういう人ですか」
「正しい人、でしょうかね。本当の意味での正しさは、みんなに平等ですから」


生徒の問いに対する先生の答えとしてはあまりにも曖昧すぎる。けれど、久美子の欲していた答えだったかもしれない。


決意の最終楽章は「正しさ」を問う物語だったように思う。

 

多数の人間が様々な考えを持つ。軋轢が生まれた。衝突が起きた。理解し難い人間もいるだろう。

完璧な人間はいないし、完璧な制度だってない。

 

久美子は部長として上手く立ち回った。折衝し、均衡を保った。久美子は部長としての役割を十分に果たしていただろう。

久美子の性質もまた変わっていった。自分を殺し、他者のフォローに徹する。それが久美子の役割だった。

 

久美子はどうにかして真由を説き伏せようとした。けれど、上手くいかなかった。真由が悪いわけでもないし久美子が悪いわけでもない。

そもそも真由は異質でもなんでもない。多様の中の一種だ。

結局、人は誰かをコントロールすることなど出来ないのだ。


軋轢や衝突に揉まれながらも久美子は良く立ち回った。久美子の行動は正しかった。これは違いない。けれど、多分、もっとシンプルな方法はあったのだろう。

香織がこう述べている。

「じゃあ、黄前さんがすべきことは決まってるんじゃない?相手の子に負けないように一生懸命努力することと、あとは気持ちをちゃんと伝えること。」


色んな人間がいる。色んな考えがある。それをまとめるのは容易じゃないし、出来ることなど限られる。勿論、正解などない。

正解はない。けれど、自分の中に答えはあるのだ。考え、考え、考え、考えたその先で見つけた答えに従う。それが「正しさ」だ。

まず第一に問うのは「自分がどうしたいか」ということだったのだろう。

 


黒江真由がもたらした問題提議。

それは世界への向き合い方だ。(世界とは"他者"であり、"社会"である)

この世に完璧などない。何かしら欠陥はある。普遍的な解決策はない。だからこそ、より最善を模索し続けるしかないのだ。

見つけた答えが自分の指針となる。

そして、自分の中の答えを裏打ちするのは自分の努力だ。その努力を貫き通すこと、それが「正しさ」を確かなものにする。

 

想いは声に出さなければ伝わらない。

久美子は本心を真由にぶつけた。それを真由がどう受け取ったのかはわからないが、久美子のあり方を納得したのではないだろうか。理解はできなくても納得することはできる。

久美子、真由、奏、佳穂の4人は一緒に写真を撮った。多分、それが答えだ。