ぽけてん

someone in the crowd

果実の中の龍

夏の像が明確になればなるほど、僕から夏が遠のいていく。理想と現実の差、それは驚愕するほどの乖離があり、到底届きそうにない。

ある人は乖離を埋めるために行動すればいいじゃない、と言うかもしれない。しかし、現実は努力ではどうにもならないことが沢山あって、ままならない事情に縛られている。

行動したいと思う。ただ、その度に不合理な障壁に阻まれる。どうしたって前に進むことが出来ない。言い訳に聞こえるだろうか?結局、人の苦しみは他人に理解は出来ない。

絶望。

それ以外の言葉は当てはまらない。

 

 

「果実の中の龍」という森見登美彦の短編作品がある。人生経験豊富で話の上手い先輩だと思っていた人は極度の虚言癖野郎だったという悲しい話である。

先輩は言った。昔は上手く喋ることが出来なかった。自分の言葉が、嘘くさく、白々しく、耐えがたい、けれど、それが嘘であればすらすらと喋ることが出来た、と。

なんとなくわかるような気がした。正直に喋る、それは時に違和感だけを残すことがある。形の違うピースを無理矢理パズルに当てはめるような違和感。

個人的な見解を言うならば、それが本当か嘘かはたいして重要ではない。自分の嘘に自分が飲み込まれてしまうのは、客観的に哀れに見えるかもしれない。けれど、当人が満足しているならばそれはもう調和的なのだ。

先輩は幸せだったと思う。全てがバレて何もかもを失ったけど。

往々にして嘘は人を救う。それは事実だ。

夏の日差しを避け、甘い嘘だけを享受する。人は悲壮と僕を指差す。蝉時雨だけが変わらずにずっと降り注ぐ。

こんな絶望ごっこをいつまで続ければよいのだろうか。