ぽけてん

someone in the crowd

文章を書くということ

家から徒歩10分くらいのところにボロい定食屋がある。店の名前は「ほかり食堂」。こっちに引っ越して1年が経とうとしているけど1度も入ったことがなかった。ボロい定食屋より家系ラーメンを食べたいという欲求に軍配が上がるのは仕方がないことだ。

 

その日は特に予定のない土曜日で、よく晴れていた。桜は散り、葉が茂り、ピンクと緑のまだら模様が街を彩っていた。唐突に叫びながら走り出したい衝動に駆られたけどやめておいた。かわりにボロい定食屋に入ってみようと思った。

 

「ほかり食堂」は木造の建物で、出入り口は建てつけの悪いガラスの扉だった。テーブル席が10もある結構な広さ。眼鏡をかけた青年と小太りな中年男性が既に席についていた。カウンターから厨房を覗けるが推定85才の老人が1人でせかせかと料理を作っていた。あの老人が1人で切り盛りしているのだろうか?もしこの店が満席になったらどう考えても回らなくなるだろう。

 

メニューをちらっと見て、厨房に向かって注文をした。老人はふらふらとこちらに向かってきて「ちょっと待たせることになるかもしれないけどいいかい?」と言った。僕はもごもごと肯定とも否定ともつかない返事をして席に戻った。熱いほうじ茶が孤独の輪郭を曖昧にする。天ぷら定食が運ばれてきたのは35分後だった。お盆に定食をのせて老人は手を震わせながらゆっくりと僕の席までやってきた。老人は何か言ったがよく聞き取れなかったから微笑を浮かべておいた。

 

天ぷら定食は美味だった。

 

 

 

 

 

 

はてなブログを開設して1年が経とうとしている。思っていたより沢山の記事を書くことができた。その多くがラブライブサンシャインについてだ。ラブライブサンシャインがあったからこそここまで記事を書くことができたと言ってもいい。

 

実は大学1年の頃にFC2でブログを開設していた。動機は記録だった。その時その瞬間に思ったこと感じたことを残そうと考えた。人は忘れてしまう生き物だから。ちまちまと記事を書いていた。ただ、あんまり続かなかった。単にめんどくさくなったってのもあるし、わざわざ書き残そうとするほど何かを強く思うことが殆ど無かったのだ。なんとなく書いてみるも無理やり捻り出した僕の文章は薄っぺらかった。文章を書く意義を見出せなくなった。

 

 

 

大学1年の頃、僕は漫然とオタクな日々を送っていた。チェックのシャツに紺色のスキニー、曇天が似合う18才の青年だった。大学生活もこんなものかと思っていた。人生も案外退屈だなと思っていた。

 

 

ラブライブサンシャインにはまったことは僕の人生において大きな転換期だった。昔からアニメオタクではあったけどのめり込むほどアニメに夢中になることは殆どなかった。物語、ライブ、ゲーム、幅広い展開、多くのイベント、規模、タイミング、要因は色々あるがとにかくこのコンテンツに魅了された。のめり込むことは楽しかった。鬱々としていた僕の大学生活は少しだけ明るくなったような気がする。オタクであることは変わらなかったけど、ラブライブサンシャインを通して前向きな人間に変わった気がする。

 

 

Twitterでたまたまラブライブサンシャインのブログが流れてきた。とても、とても衝撃的なものだった。自分の好きなコンテンツをとことん語るそのブログは活力に満ちていた。熱い、厚い、その内容に心を震わされた。久々に文章を書こうと思った。自分の好きなコンテンツについて自分の想いを語る。文章がスラスラと出てきた。想いが溢れてきた。何かが変わる予感があった。これが2018年の5月、1年前。

 

 

 

「世界に変化を望むのであれば、自らがその変化になれ」

 

 

ガンジーの言葉だ。僕が初めてこの言葉に出会ったのは中学の頃で、冷や水を頭から被ったような気分だった。これほど力強い言葉があるのかと、畏怖すら覚えた。当時はこの言葉の意味を自分の中に落とし込めてはいなかった。今もこの言葉の意味を理解できているかは怪しい。自身が変化になることは想像以上に難しい。障害も多いだろう。けれど、多分、変わろうとすることに意味があるのだ。僕はそう思っている。

 

 

 

ひとつの確信がある。アウトプットは人生を豊かにする。文章を書くことに限らず、演奏をしたり、絵を描いたり、動画を作ったり、手段は多様だ。正直、アウトプットは大変だ。めんどくさいし疲れる。ただそのめんどくさい先に達成感という大きな感情が待っている。これまでずっと何かを享受してばかりだった。アニメ、映画、小説、漫画、等々。時に笑い、時に泣いた。心を動かされた。しかし、どうしてかずっと退屈な気分だった。それは多分、あくまでそれらが向こう側の話だからだろう。自分以外の誰かの物語だからだ。

 

考えをまとめ文章を書くことは自分が何者か確かめるような感覚だ。文章を書くことで自分を世界に証明していると僕は思っている。

 

やっと僕は自分の物語を歩むことができているのではないだろうか。文章を書くことは自分にとってひとつの指針となりつつある。しかし同時に問題もある。夢中になれる何かがないと文章を書くのは難しい。心が動くような何かがなければ文章はなかなか生まれてこない。だからこそ好きなものを好きでいる努力がいる。それはオタクコンテンツに限らなくてもいい。

 

 

 

退屈を感じたくない。漫然と生きたくない。もっと良い文章を書けるようになりたい。工夫次第で変えられることは沢山ある。

 

だから僕は文章を書く。