用途は自由
クギャァァァ、とはたして人体からそんな音がでるのかと疑わしく思うくらい異様な絶叫が電車内に響いた。目線を向けると4,5歳くらいの男の子が腕を不自然に上げながら泣き叫んでいる。隣の母親は慌てふためき顔が青ざめている。電車内が少しづつざわめき始める。
ちょうど駅に停車しドアが開いた。数秒後、警報音が鳴り響いた。どうやら母親が警報ボタンを押したようだ。母親がヒステリックに叫んで駅員を呼ぶ。子供はこの世の終わりのように泣きわめいている。ここは地獄か。その騒ぎを僕は呆然と見ていた。
よく見ると子供はドアの脇の手すりの隙間に腕を滑りこませてしまい、そのまま腕が抜けなくなってしまっているようだった。なるほど、そりゃ絶望もするだろう。
駅員がやってきたが腕はすっぽりとはまっているらしくうんともすんとも動く気配がない。子供はずっと泣きわめいているし、母親は今にもぶっ倒れてしまいそうなほど顔を青ざめているし、駅員はどうしていいのかわからず困惑しきっている。
子供の細い腕はあんな狭い隙間にも入ってしまうのかと見当違いな所感を抱いていると、理知そうな若い女性が現れ声を張り上げた。
「誰か化粧水を持っている方はいらっしゃいませんか?化粧水があれば腕を引き抜くこともできるはずです」
確かに、と思ったが残念ながら僕は化粧水を持っていなかった。
「持っています!」
声を上げたのは40代半ばくらいの小太りなおっさんだった。美意識高いな、おっさん。
おっさんは鞄をガサゴソ漁り"それ"を取り出した。
"ペペローション"だった。
僕とそのおっさんには少し距離があった。しかし、"それ"はどう見ても"ペペローション"だった。嬢が取り出す"それ"となんら同じだった。
母親は急に感情が抜け落ちたように真顔になり、理知そうな女性は変に顔が引きつっていて、駅員は平然を装っているがどう見ても笑いを堪えている。
そんな微妙な空気が流れる中、おっさんはせっせか粘度の高い液体を子供の腕に垂らしていた。
ちゅるん、という効果音と共にあっさりと子供の腕は抜けた。
何故おっさんがペペローションを持ち歩いていたかは非常に疑問であるが、こういう形で人を救うこともあるんだと感心した。
完