ぽけてん

オタクシグナル

津島善子「ガンジス」②

 

津島善子「ガンジス」① - ぽけてん

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国木田花丸

 

 

私は何をしているのだろうか。心がざわざわとして、文庫本を開いても内容が頭に入ってこない。上手くものを考えられない。あの日のことだけが、ぼんやりと浮かんでは消えていく。

 

 

霞んだ地平線から薄明な陽が広がり、じんわりと今日が染み込んでくる。私はまだ静かなガンジス川の畔をゆっくり歩いた。川で洗濯をする人、寝ている牛、陽光を反射する川面、全てが初めての景色であるのにどこか懐かしさも感じる。

 

 

死生観、と言えば大袈裟ではあるが、ヒンドゥー教の聖地であるこの地には以前から興味があった。インドでは今でもカースト制度が色濃く残っていて、火葬される際もカーストによって分けられる。死してもなお、カーストは残るのだ。この事を知った時、私は非常に驚いた。日本ではなかなか想像できない価値観である。インドに行くのは衛生面や治安面で不安があったが、先日の一件のこともありなんとなく踏ん切りがついてしまった。

 

同じ時代に生まれながらもこれほどまでに違う価値観を持つ。その営みの一片を実際に垣間見ることで私は何を思うだろうか。

 

 

地図を開き、ガンジス川沿いにある火葬場に向かった。川に沿って民家や寺院、宿泊施設等が立ち並ぶ。川があるからかニューデリーよりも幾分か涼しい。風が干してある洗濯物を揺らし、私を優しく撫でる。少し先に煙が上がっているのが見えた。

 

火葬場には結構な人がいた。観光客もいるが現地の人が多いようだ。ここでは写真を撮るのは厳禁とされているらしい。理由は知らない。現地の人はみな、淡々と火葬場の周りを忙しなく動いている。

 

目の前で人が焼かれている。しかし、不思議と厳かな雰囲気はなかった。川で洗濯をしている人を見るのと同じ感覚で火葬を眺めている自分がいる。何故だろう。火葬も生活の一部に組み込まれている様な、なんら特別なことではない様な、そんな風に捉えられた。死は至って当たり前のことである、そう思えた。

 

ひとつ問題があったとすれば、暇を持て余していたらしいインド人に何度も話しかけられたことだ。自分の知ってる日本語をでたらめに言っていた。怒涛のお喋りが降りかかり、厳かさとは無縁な気分になってしまった。それもあってゆっくりと思索に耽る余裕がなかった。

 

一応、そのインド人にカーストによって火葬が分けられるという話を振ってみると懇切丁寧に説明してくれた。確かによく見ると火葬の設備にそれぞれ差異がある。

 

もう少し火葬場の様子を見ていたかったが、あまりにも話しかけられてしまうからその場を離れた。

 

 

人は自分とは圧倒的に違う何かに触れた時、どうなるか。例えば、抱えている悩みが全て吹き飛んだりはしないだろうか。

 

私はガンジス川に来ることで何かが変わって欲しいと期待していたのだろうか。しかし、多分、私の中で答えは既に出ているのかもしれない。

 

津島善子「ガンジス」③ - ぽけてん

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