尊敬する人が同い年だったって話。
妖光に導かれるように進んだその先で…
気づいたら豚になっていた。
元々豚の気質はあったけど完全に豚にはなっていないはずだった。何故こうなってしまったのだろう。今となってはよくわからないけど、追っかけの日々が楽しいから深くは考えないようにしてる。
いや、違う。
私は深く考えなくてはならなくなった。豚になったが故に…。
私がラブライブサンシャインにはまったきっかけは1stのBD映像を観た時です。衝撃。まずパフォーマンスのクオリティが高い。こんなキレのあるダンスをしながら楽曲を歌いあげるってどうなってるんだとわけがわからなかった。加えて会場の熱量。キャストと共に会場を盛り上げるあの声援。あの一体感。観ていてとても心が熱くなった。震えるぞハート!!燃え尽きるほどヒート!!!
豚ライフの始まりの鐘が鳴り響きました。
個人的にキャストの中で気になる人がいました。伊波杏樹です。
カリスマ性と言うのでしょうか。リーダーになるべくしてなったというか。伊波杏樹の紡ぐ言葉が胸に刺さるんですよ。あの礼儀正しさ、あの真摯な姿勢、眩しすぎて網膜が焼き切れそうです…。
浦ラジとかニコ生とかを拝聴してもリーダーとしての存在感を感じますよね。育ちの良さというか人柄の良さというか、兎に角凄い人だなぁと思っていたのです。
気づいたらそれは尊敬の念となっていました。
しかし、
しかし、
ここで衝撃の事実が発覚。
私と伊波杏樹が同い年。
(あいにゃも同い年だよ)
しかも96年早生まれまで同じ。
正直、あまり認めたくない事実ですね。同い年がここまで凄いことをやり遂げてることに少なからず焦燥感を感じるわけです。伊波杏樹に限らず、もうこの年になると同い年で立派なことをやってのける人って沢山るんですよね。ちなみに氷上のスティーブンスピルバーグこと羽生結弦君も同い年。みんな、しゅごい…。この焦燥感は私をじわりじわりと苦しめる。
同い年の人がここまで凄いことをやっているのに私は一体何をしているんだろう、と。
そしてそこに追い討ちが。
ラブライブサンシャインTVシリーズは本当に素晴らしいもので、感動につぐ感動の大波が私を襲いました。
しかし同時に私は絶望によって斬りつけられました。
青い鳥。
誰もが知ってるメーテルリンクの童話。ラブライブサンシャインだけでなく、多くの作品でメタファーとして取り入れられていますよね。意味するのは「幸せはすぐ近くにあってもなかなか気づかないもの」。輝きは実は持ってたんだなぁって。
ラブライブサンシャインのオチはなんとなく予想はついていました(予想はしていてもむちゃくちゃ泣いた)。しかし私はどこかでこう思っていました。「輝き」は天空の城の最上階とか魔物が潜む洞窟の最奥地とか海底遺跡にある棺桶の中とかにあって欲しい、と。輝きってもっと高嶺の花であって欲しかったし、私では到底手にできない代物であって欲しかったのです。青い鳥がそばにいるとしたら私の抱えるこの焦燥感は一体何!?
歩んできた全ての瞬間が輝きだった。確かにその通り。しかしこの言葉はある条件を満たした人間しか発言することが許されない。
全力で努力・挑戦をした人間だけが輝きを知ることができる。
じゃあ、私は?
努力もしてない。挑戦もしてない。そんな私の歩んできた全ての瞬間は道端の石ころとなんら変わりません。
人生を振り返れば要所要所で良い経験をしたと思うことはありますが、全体を通して見れば誠にしょーもない人生だったとしか思えません。
え、辛い!?!?!?
誰か私を肯定して!誰か私を愛して!
豚ライフ、楽しかったはずなのに…楽しかったはずなのに…。
アニメなんて現実逃避の道具としか考えてなかった。何故アニメを観て、現実と向き合わなくてはならないのか。こんなの絶対おかしいよ!
ラブライブサンシャインを観てたらさ、嫌でも前向きにならざるをえないじゃないですか。どうすんの、これから。
私は、変われるでしょうか。
自分の過去はとてもじゃないけど肯定できません。過去は変えられない。けど、これからは変えられる。動けるのか?この怠惰な私が?
人は簡単には変われません。けど、変わろうと思ったのです。豚として緩い幸せに浸かってるのも悪くないとは思いますが…伊波杏樹を見ているとそうもいかないなと感じてしまったのです。
いつの日か偶然にも伊波杏樹に出会った私は胸を張っていられるでしょうか。唐突に輝きについて語っちゃったりできるでしょうか。
最後にサクラバイバイの歌詞を引用して締めようと思います。
「本当は追いかけていきたいよ
でも見送るよ
つぎはもっと成長した自分
見せたいから
ここでバーン!っと頑張るよ」