堕天使の話。
津島善子。
自分を不幸人間と称する津島善子。地球上にこれだけ人間がいれば運の良い人と運の悪い人で偏りが生まれるのは仕方のないことです。まぁでも誰しもが人生の中で自分の不幸さを嘆くことなんて沢山あるでしょう。私自身、他人が当たり前のように持っているものを持っていなくて酷く悩むこともありますが、なんとか生きています。
自分が不幸だと思っている人間の生き方をざっくり3パターンに分けてみました。
①全てを環境の所為にする
当然ですね。だって自分じゃどうしようもないもん。
②強く生きる
周りを信用することなく、自分1人の力でこの混沌とした世の中を生き抜こうとする。
私は①が3割、②が7割って感じかな。
③自分が特別だと思う
津島善子。
当たり前ですが、自分を不幸だと思っている人間がこの世の中を好きになれるはずがありません。他人も信用できません。視線は外ではなく内に向きます。自分で完結する世界。自分だけの独創的な世界を作ることで、辛さを忘れる。処世術。しかし人間である限り、外に全く興味を向けないなんて不可能です。そこに葛藤があり、苦しみがあります。
個人的に津島善子ソロ曲の歌詞にとてつもない衝撃を受けました。
in this unstable worldはスクールアイドルを経ての津島善子の変化を明確に書き綴られています。
歌詞を適当に抜粋していきますよ。
「まだ聖なるセカイ夢見てるの?美しさは脆いものよ」
えっ!?!?!?
破壊力ありすぎでしょ…
聖なるセカイとは、津島善子が処世術として作り出した自分の内側の世界。
津島善子にとって堕天使はこの世の全てだった。しかし今は違う。2期では堕天使を良い意味で活用していたし、あくまで自分の1つの要素として捉えている印象を受けました。確かに自分で作り出した世界は美しい。しかし、それはとても閉鎖的で窮屈なのだと津島善子は思ったのでしょう。
この短い歌詞だけでスクールアイドルを通して外側に視線を向けるようになった津島善子を上手く表現していますね。
「この退屈セカイを渡るには力を合わせなきゃ駄目よ」
ぐああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっっ
切れ味抜群…
わざわざ言及することじゃないですが、"セカイ"の用法が違います。さっきのは津島善子の内側の世界、こっちのは現実世界です。
あくまで現実世界を退屈と言い切る津島善子。しかし、今の津島善子は昔のように自分の内側だけで完結する生き方はしていません。誰かと手を取り合ってこの現実世界を乗り越えようって言ってるんですよ!?やばい、涙で画面が見えない…。
外側との接点に重きを置くようになった津島善子。それはスクールアイドルの活動を通して、仲間と何かを目指す素晴らしさに気づいたから。世界は相変わらず退屈だけど、誰かと一緒にいることで何かが起こることを知ったから。人を信頼できるようになったから。
人の心を育てるものは何でしょう。
私は他人との関わりだと思っています。生きていればどうしようもなく他人との関わりが憂鬱に感じることもあるでしょう。どんなに誠実に、真っ当に、真剣に生きていても、理由のない悪意や理不尽に襲われることは多々あります。だとしても、だとしても、他人と関わる以外に自分の心を育てる手段はないのです。
そんな悲観的な思想の中で前向きさが顔を覗かせる。それがin this unstable worldであり、津島善子の生き方なのだ。