インターネット・コミュニケーション
インターネットが普及したことによって人と人との繋がりはどう変わったか。この問いに対して、僕は腕組みをして無言で虚空を睨みつける。
人はどこにいても誰とでも連絡を取れるようになった。インターネットを介して手軽にいくらでも繋がることができる。
人間関係は流動的だ。けれど、インターネットによるコミュニケーションが普及することで流れ去ってしまうはずだった関係を容易に手繰り寄せることが可能になった。
コミュニケーションが時間にも場所にも依存しなくなったことで、人は人と直接会うことに以前ほど価値を見出さなくなっただろうか?
どれだけ密に連絡を取ろうともそれが対面によるコミュニケーションの価値を下げることに直結しないと僕は思う。いくらインターネットを介して連絡を取ったって、対面の会話以上のコミュニケーションは存在しないからだ。
心の距離は物理的な距離に比例する。人は実際に目で見て耳で聞いたことこそに価値を置く生き物だ。心は案外アナログである。
ただ一方で人はインターネットを介したコミュニケーションに満足してしまっている側面もあるだろう。希薄な繋がりをコミュニケーションと勘違いする、みたいな。インターネットによるコミュニケーションの手軽さに故、現実のコミュニケーションを難しく感じる人間がいてもおかしくはない。
僕のポケットには携帯がある。いつだって誰にだって連絡できる。けれど、誰にでも連絡するわけではない。連絡をするのはごく一部だ。便利なツールがどれだけあろうとも、繋がろうという意思がない限り、人は繋がることはない。僕は人間関係をポケットに入れていると思っているけれど、結ばれない線を関係と呼ぶことは出来ない。
繋がる手段はあれど、あえて繋がろうとしない。そういう取捨選択ができるようになっている。
インターネットはコミュニケーションの手段を多様にした。それ以前では考えられなかった手段で多くの関係を構築することができる。選択肢が増えた分、人はより自分の都合の良いように関わりを選べるようになった。
その自分の作り上げた関係は強固だ。自分に適した人間を選んでいるのだから。
ところで、人間関係を取捨選択するのは果たして良いことなのだろうか?
世界は日に日に便利になっていく。昔はどう過ごしていたのかわからなくなるらいには。しかし、便利になったからってそれが必ずしもプラスに働くとは限らない。人は便利に懐疑的であるべきだ。
Twitterとは便利なツールだ。情報を広く早く共有できる。様々な人と繋がれる。手軽に発信できる。
Twitterを眺めているとそれなりの頻度で議論が起こる。議題は様々だが、全く建設的でない議論もしばしば見受けられる。
傾向として、誰かが極端なことを言って、いろんな人が噛みつく。それの繰り返し。不毛だ。まぁその不毛さがTwitterとも言える。
ソースもなければロジックもないツイートが溢れていて、結局そういうのに惑わされてしまう人間が多いのだろう。
知識がある人もない人も等しく発言権のある場でまともな議論を行うのは難しいのかもしれない。
Twitterという空間を観察すると、似たような人間が集まりコミュニティを作っているのがわかる。そして偏りが生まれる。
偏ってしまうと議論というのは往々にして虚無になってしまう。議論で大事なのは愛と思いやりだ。
似たような人が集まり、結果、偏ってしまう。それが現実の人間関係だけでなくインターネット上でも起こってしまうのが不思議である。だってインターネットは誰とでも気軽に繋がれるはずなのに。桜に降り積もる雪のように珍妙だ。
そうなってしまうのはある意味仕方のないことかもしれないが、インターネットの利便性を著しくそこなっているような気がしてならない。
自分が快適に過ごすために人間関係の取捨選択を行う、それはやや危ういことかもしれない、というよりは自分の人間関係を閉じてしまうことが危ういのだろう。
Twitterを利用すれば多様な考え方を手軽に教授できる。それがTwitterの強みとさえ言える。しかし、そういった開かれた環境に目もくれず、限られたコミュニティの中で視野狭窄になっている人間があまりにも多いのだ。
世界は思っているより広い。想像がつかないほどに。住む場所が違えば、育つ環境が違えば、考え方なんてがらっと変わってくる。自分の常識なんてちっぽけなものだ。
そういう事実に向き合えていない。
まぁ偏ることが悪いとも思わない。これは自論だけど「偏れば偏るほど人生は楽しい」。周りを見ずただただ直進できるならばそれ程素晴らしいこともないだろう。自分がその選択ができるかは置いといて。
どうあろうとその人の勝手だけど、偏った故に人間関係に不和を生んで他人に迷惑をかけるのはやめてくれな。
最近ね、弊社の社員同士がバチバチする案件が2つくらいあってどっちも僕に飛び火してもう死ねって感じでさー。ただでさえ業務が狂うほど忙しいのに面倒ごとに巻き込むなよ。てか、いい年した大人達が職場で仲違いなんてするなボケ!柔軟にやってこうぜまじで。(ただの愚痴)
閑話休題。
多分、僕はTwitterの利便性を大きく損なっている。本当はもっと上手く利用することで今以上の広い世界を知ることができる。貴重な機会を損失してしまっている。
そもそもTwitterなんて時間の無駄だからとっととアンインストールしちゃうのが一番なんだけどさ。
インターネットが普及してコミュニケーションは、より自由に、より手軽に、より多様に、なった。誰とでも繋がれるはずのインターネットだけど、各所では狭くて強固なコミュニティが生まれ、偏りが散見されるようになった。自由で手軽で多様なのがインターネットの強みなのにこれはなんとも滑稽である。
人と人とが繋がりやすくなった現代を素晴らしいと讃えるには、人間関係を正しく保つ努力が必要なのだろう。
繋がることは人の強みだ、多分。めちゃくちゃベタなことを言えば、「喜びは2倍に、悲しみは半分に」だ。つまり、人は繋がることで相乗効果を得られる。
だからこそ、良い関係を築き続けられたら良いなと思う。
今回の記事ね、別にみんなに視野を広く持ってくれと伝えたかったわけではなくてね、コミュニケーションって難しいなぁと思うことが最近多くてね、吐き出してみたら何か変わるかなーと書いてみた所存でした。
まぁなんも変わらんのだろうけどさ